逆レビュー(1)ブラックスワン
ボリウッド的見地から非インド映画を鋭くレビュー。不定期連載の第1弾は現在上映中の異色バレエ映画にしてサイコスリラーの「ブラックスワン」を逆レビュー!
file.1 「ブラックスワン」Black Swan(2010)
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本・原案:アンドレ・ハインズ/脚本:マーク・ヘイマン、ジョン・マクローリン
出演:ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセル、ミラ・クニス、バーバラ・ハーシー
STORY
ニューヨークのバレエ・カンパニーに所属する中堅ダンサー、ニナ(ナタリー・ポートマン)は、プリマを目指すも技術的に完璧ながら今ひとつ存在感が薄い。そんな中、大胆に解釈が施された新作「白鳥の湖」の公演をぶち上げた演出家ルロワ(ヴァンサン・カッセル)は先の見えたプリマに引退を勧告、そしてニナを新プリマに指名するが、彼がオーダーした条件とは…。
逆Revie-U
次回ステージの題材を発表したダンス・カンパニーの演出家がトップ・ダンサーでなくニューカマーを起用して…とストーリーをまとめてしまうと、どこかシャー・ルク・カーン N マードゥリー・ディクシト×カリシュマー・カプール主演「Dil To Pagal Hai(心狂おしく)」(1997)を連想してしまいそうになるが、もちろん米インディペンデント系の作品だけあって、テイストもテーマもまったく異なる(苦笑)。
冒頭は、ステージでひとり立つ白鳥のニナが黒鳥の男性ダンサーにつきまとわれ、その魔手に堕ちるという暗示としての夢。バレエ絡みの映画としてオープニング・スケッチがステージ構成となっているのは、旧ソの名ダンサー、ミハイル・バリシニコフをフィーチャーした「ホワイトナイツ/白夜」(1985=米)に準じるようで好感が持てる(タイトルも白黒で対になっているのは偶然か)。
ボリウッド的には、リティク・ローシャンの衝撃的デビュー作「Kaho Naa…Pyaar Hai(言って…愛してるって)」(2000)など夢のシークエンスから始まるのはセオリーと言え、1ポイント。
主演のナタリー・ポートマンは、ハリウッド女優として美形の部類に入るが「美人」という撮り方ではないのが米国映画らしい。その顔立ちは、時よりラーラー・ダッタを思い起こさせる。
これまた、プリマを射止めたニナを追随する怪しげなポジションのダンサー、リリーに扮するミラ・クニスは、往年のヴァンプ女優にしてアイテム・ガール(キャバレー・ダンサー)として名を成したアルナー・イラーニーのイメージが重なる。
ニナは技術的に完璧なダンサーながらカンパニーを担うプリマとしての華がなく、好色な演出家ルロワも当初「不感症女」と評していたほど。それだけにニナは怯えた白鳥役に相応しいとも言えるが、それは彼女を妊娠したが故にキャリアを諦めた母親(バーバラ・ハーシー)から精神的に抱え込まれていたからだ。まるで原理主義的抑圧から娘に超能力を芽生えさせた「キャリー」(1976=米)の母親を見るようだ。
プリマを獲得したニナだが、前途は多難だ。白鳥役としてはルロワからお墨付きをもらうが、白鳥を愛した王子を誘惑する黒鳥としては閉じ込められたパーソナリティー故に観客を魅了するセックスアピールが足りない訳だ。
そこでルロワはニナに対して、ある「宿題」を課すのだが、そこの部分にはここでは触れない。
しかしながら、ボリウッド的なセンサーシップからするとAVまがいの描写には驚かされる、ことになる。
ニナの心理的な反応から蕁麻疹が身体を走る描写を薄っぺらなCG処理で済ませているのが玉に瑕ではあるが、それ以外は演出も手堅く、トリッキーな脚本もよく練られている。いわゆる映画ファンには満足出来る高レベルにある作品と言えよう。
また、「I am Sam/アイ・アム・サム」(2001=米)と、その勝手にリメイク版「Main Aisa Hi Hoon(私だって普通です)」(2005)でもそうであったが、色があふれるボリウッド映画と異なり、例によって暗いトーンで描かれる。ルック(画調)だけでなく、本作では<ダークサイドに囚われた白鳥>というテーマに沿ってニナが母親と暮らすアパートメントも窓がなく、バレエのレッスン場面でのスタジオといい、ほぼ室内シーンばかり。この出口の見えない映画世界は、病んだ社会がベースにあることが感じられる。
そして、ボリウッドからすると、邦画の「フラガール」同様、ダンサーの映画ながらクライマックスにおいてダンスそのものがエモーションを刺激する作りになっていないのが実に残念。
ナタリー・ポートマンは、12歳までバレエを習い、本作撮影の1年前から役作りとしてバレエを徹底的にトレーニングしたというが、ほとんどが顔の表情をとらえたアップ・ショットばかり。
「Bhool Bhulaiyaa(迷宮)」(2007)のヴィッディヤー・バーランの方がもっとよく踊っているように見え、振付と演出の軍配はこちらに上がるだろう。
もっともこれは、インド人の舞踊や古典に対する思い入れの違いが<桁違い>だから。
本作は「白鳥の湖」をモチーフとし、クライマックスがその公演場面となる。しかし、映画のストーリー展開として脚本の妙が優先され、世界観としての「白鳥と湖」はチャイコフスキーのメロディに乗っかっているだけに過ぎない。
これがボリウッドともなると、マードゥリーの復帰作「Aaja Nachle(踊りに来て)」(2007)では「ロミオとジュリエット」の原版と言われる悲劇「ライラーとマジュヌー」を足早にとは言え、すっかりステージとして見せ切る。
「Aaja Nachle」のストーリー自体には「ライラーとマジュヌー」を特に絡めている訳ではないが、「ライラーとマジュヌー」を見せる時、インド人にとっては表面をなぞるだけでは作り手も観客も満足しないのだ。