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ブック・レビューfile.7 「ボーパール 午前零時五分」

2011.05.16

「ボーパール 午前零時五分(上下2巻)」(ドミニク・ラビエール+ハビエル・モロ著/長谷 泰訳/河出書房新社)


かつて「インドのバグダード」と呼ばれたボーパールが一夜にして「インドのヒロシマ」と化した悲劇。Bhopal Express(1999)で描かれたユニオン・カーバイド化学工場事故の真相に迫ったのが「ボーパール 午前零時五分(上下2巻)」(ドミニク・ラビエール+ハビエル・モロ著/長谷 泰訳/河出書房新社)である。

米ユニオン・カーバイドは、「四十か国で系列会社は百三十社、生産地は約五百か所、従業員は十二万人を数え、アメリカの工業力の最もたる精華のひとつ」で「あらゆる種類の大量消費製品も生産されていた。アメリカの主婦が買い物をすれば、十人中八人はユニオン・カーバイドの青と白の菱形印の商標があるプラスティック製の手さげをさげている」。
そんな多国籍企業が殺虫剤製造に乗り出し、農民三億人、やがて五億人に膨れあがるマーケットを狙ってインド亜大陸の中心に位置するボーパールに大工場を建設したのが1969年。
「チョコレート工場ぐらい無害な工場」、「すばらしい工場」と自ら<呼んだ>この工場には、欧州では直ちに作る分しか貯蔵が許されないイソシアン酸メチルを三基の鋼鉄製タンクに氣違いじみた分量の120トンを貯蔵し、ドイツの化学者にして「工場の中心部に原子爆弾があるようなもの」と言わしめた。

ところが、ユニオン・カーバイドの思惑は外れ、インドにおいてこの殺虫剤は次第に売れゆきが落ちる。天候不順により苗が発育せず、害虫駆除以前の状況が続いたのだった。
やがて、工場は操業を停止。本社の意向でコスト・カッターが送り込まれ、部品交換も高価なステンレスから腐食に弱い安価な鉄のパイプに、摂氏零度に冷蔵しておかねばならぬところ冷却装置の停止、さらに事故の際に毒ガスを焼き払うフレア(高さ14メートルに及ぶ輩出管の先に点火された炎)も消され、数段階構えだった安全装置も外されてしまうのだ。

それでも、冬場の氣温が摂氏15度は下らないボーパールの工場には63トンという狂氣の毒ガスが眠り、地元ジャーナリストの警鐘も虚しく、1984年12月2日深夜、それは起きた。
安全装置の解除された状態で操作ミスが起き、イソシアン酸メチルの<熱暴走>が始まったのだ。

この事故の構造は、まるで今回の東日本大震災の津波に端を発した福島第一原子力発電所メルトダウンに至るまでの原発事故がオーバーラップする。
まず、イソシアン酸メチルは常温では<熱暴走>してしまうため、貯蔵タンクにはフレオン・ガスによる冷却用の細い管が無数に巻かれ(有事の際にイソシアン酸メチルを苛性ソーダで中和させる「汚染除去塔」というのもある)、工場写真のキャプションには「タンクに入っているガスの反応で起こった熱のせいで、タンクを包むコンクリートの石棺はふっとんだが、タンク自体は避けなかった」とある。この「石棺」は高さ2メートル、長さ13メートルのコンクリート製建造物を見立ててのこと。著者はチェルノブイリ原発を覆った「石棺」も念頭に置いて言葉を選んだように思えるが、今ならまさに「建屋」であろう。
こうして漏洩したイソシアン酸メチルは特有の「ゆでたキャベツの臭い」で工場を包み込み、間もなく工場に依存するように隣接したスラム街に忍び寄るのだった。

ユニオン・カーバイドは工場の危険性を隠蔽/粉飾して認可を受け、事故の際もその化合物を公表せず、対策として「出来るだけ息をしないように」と伝えたという。プルトニウムが炉外に飛散しようが「ただちに健康被害はありません」と発表するどこかの国策電力会社の体質に似ている。

しかも「当局は不測の分配補償金の総額を何よりもまず抑えようと腐心して、最終結果を勝手に死者数千七百五十四名と決めた」、また、死者数を減らすため大量の遺体が運び出されたという。
ユニオン・カーバイドの社長ウォーレン・アンダーソンは逃亡し現在も消息不明。インド支社は転売され、1999年8月にダウ・ケミカル・グループに買収されたが、ダウ社は補償を突っぱね、現在も完全な住民補償と救済は解決していない。

著者ドミニク・ラビエールは、米国映画として制作されオーム・プリーも出演した「歓喜の街カルカッタ(上・下)」(長谷 泰訳/河出文庫)の原作者だ。
「Bhopal Express」は本書の映画化ではないが、事実のエピソードを取り入れたのか、事故の翌朝、化学工場を取り囲み騒ぎ立てる住民に対して「また毒ガス漏れが発生!」と偽のアナウンスをして蹴散らしたこと、ボーパール駅で絶命した母親の乳房に無心で食らいついている赤ん坊、列車を命懸けで出発させた駅員のエピソードを逆転させてスケッチしている。

本書の終章では、さらなる苦悩に直面する住民達の姿が描かる。またも新たな外国企業が乗り込んで来て、農民たちは遺伝子組み換えの種を売りつけられるのだ。それは一世代のみの品種であるため、本来、自分たちで来期の種を収穫できる(はずの)農民が毎年種を<購入>せねばならなくなる。
貧しき土地に住む者たちが搾取され続ける構図は、なんら変わりがない。

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