+44号記事紹介:「Bollywood Directors Files.#0」何故、インド人監督は映画に出たがるのか?
Bollywood Directors Files. #0
何故、インド人監督は映画に出たがるのか?
多彩な作品を誇るボリウッド映画の創造主である映画監督達の手腕を解き明かして行こうとするこのシリーズ企画、まずは他国の映画界には見られないボリウッドならではの特色ー演出するだけでは満足できず、自ら主演してしまう、出たがりな映画監督達が何故インド人に多いのか、大分析!!
すぎたカズト(ナマステ・ボリウッド)
家内制手工業が俳優/監督の枠を超えた映画人を生んだ
「ボリウッド」と呼ばれる以前からボンベイのヒンディー映画界は、映画制作の現場もインド伝統の家内制によって為されていたために、役割分担を超えて映画作りそのものに携わる〈映画人〉が他国に比べて多く育った。特に映画界の規模が小さかった40年代から俳優/映画監督として活躍したラージ・カプールがその筆頭だろう。父プリットヴィラージの劇団がリアルな演技メソッド、スタニスラフスキー・システムを採用していたため、映画に転出し易く24歳という若さで初監督作「Aag(火)」(1948)を放った。
日本ではラージがあまり知られていない事もあって彼より高く評価されている俳優/監督に、「Pyaasa」渇き(1957)、「Kaagaz Ke Phool」紙の花(1959)等のグル・ダットがいるが、残念ながらスター性や製作規模からするとラージに大きく水をあけられていたように思う。
そのグル・ダットに初監督の機会を与えたのが、自社ナーヴ・ケータン・フィルムズを設立したデーヴ・アーナンドだ。「うっとりする余り、学校に行かなくなる」と言われた映画スター、デーヴは長兄チェータン、弟ヴィジャイの監督作を早くからセルフ・プロデュースし、「Prem Pujari(恋の信奉者)」(1970)で監督デビュー。監督・主演第2作「Haré Rama Haré Krishna(聖なるラーマー、聖なるクリシュナ)」(1971)はヒッピー映画として今もカルト的人氣を誇る。
一方、美男子の兄と対極的の醜男な弟ヴィジャイ・アーナンドだが、監督として名を成した後の主演作が実に佳い。献身的な女性による愛の讃歌「Main Tulsi Tere Aangan Ki(私はトゥルシー、あなたの庭の聖なる薬草)」(1978)では、やや薹が立った美人女優アーシャー・パーレークとのロマンス・シーンで、深みのある声から美女に相応しい男前に思えて来るから不思議だ。更にホラーで名高いラムジー・プロの幻想怪奇映画「Ghungroo Ki Awaaz(足鈴の音)」(1981)での相手役は、かの麗人レーカー! ここでもヴィジャイの低音が低予算の作品に奥行きを与えている。
俳優から〈転向〉して成功した監督に、リティクの父ラーケーシュ・ローシャンがいるが、代表格はやはり、『恋する輪廻』Om Shanti Om(2007)の冒頭、元ネタの「Karz(借り)」(1980)のスタジオ撮影スケッチで監督役に彼自身として登場しているスバーシュ・ガイー監督だろう。ヒンドゥー神話をベースにヒット作を連打し、ヒッチコックよろしく自作へのカメオ出演が売りだったが、脇役時代そのままの大根役者ぶりでストーリーの盛り上がりを分断してしまうばかりか、「Pardes(他国)」(1998)では図に乗ってナンバー「I love my india」中に船上から高らかに歌い挙げるのだ(しかもテンガロン・ハットがトレードマークの目立ちたがりぶり!)。このあざとさが時流に合わなくなってゼロ年代になるとフロップ続きとなり、自身のカメオ出演が足を引っ張らぬよう「Kisna」(2005)でエンディングでのシルエット登場に留めて以降は出演自粛と相成った。
以下、続きの記事本文は、「ナマステ・ボリウッド+44号」をご覧下さい。
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