第7回NHKアジア・フィルム・フェスティバルにて監督作品「ナヴァラサ」Navarasa(2005)が上映され、サントーシュ・シヴァン監督がティーチ・インのために来日。
この作品はタミール語/英語映画であるが、監督及び助演のボビー・ダーリンがボリウッド(ヒンディー語映画界)で活躍する映画人であるため、ナマステ・ボリウッドでもさっそくラヴコールを送り、単独インタビューの機会を得た。

なお、「ナヴァラサ」は2007年3月、渋谷ユーロスペースにてモーニング&レイトショー公開される。
   
   
     












【ポリオ】(急性灰白髄炎)。ポリオウイルスを汚物や飲食物経由で体内に取り込んでしまい、急性麻痺症状に至る感染症。子供は玩具などに触れた手を口に運んでしまうので感染しやすい。日本ではワクチンの予防接種により根絶。常在国インドでは6回の予防接種が必要とされる。アミターブ・バッチャンが出演したそのCFは、日本でもネット配信のインド系TVで見ることが出来る。

【アラヴァーニー】それまでの賎称アリを撤回すべくサード・ジェンダーたちが提唱している呼称。大叙事詩「マハーバーラタ」タミールナードゥ版のみに伝承される神話エピソードに由来し、アラヴァン信奉者の意。北インドでは、俗にヒジュラーという語彙が用いられている。


―今はムンバイーをベースに活動されているんですか?
いや、マドラス(現チェンナイ)だよ。仕事があるときにはボンベイ(現ムンバイー)やデリーに行く。コマーシャルの撮影とか。この間はNDTVの仕事をしたし。最近はLAでの仕事を集中的にやっていたけど、イギリスにもよく行っている。

―CFの撮影もよく引き受けるのですか?
シャー・ルク・カーンとコマーシャルもいくつか一緒に撮っているよ。サントロやビデオコンなどの製品のね。ABアミターブ・バッチャンともキャドバリーなどのCFを撮った。実はアミターブとは近々映画を一緒に作る計画もあるんだ。

―マドラスに住んでいらっしゃるのは、大きな映画市場があるからですか?
いや、そういうわけではない。実を言えばケーララ州のプロモートに関係したことだ。ケーララをベースにした活動にも力を入れているんだ。私は今、タミルナードゥ州に住んでいるからね。ポリオに関する公衆衛生啓発の短いタミール語のフィルムをアミターブや他の人たちと作ったんだよ。

―アミターブ・バッチャンとCFを撮らていますね?
エイズ防止のキャンペーン・フィルムも作ってそれを通じてサード・ジェンダーを持つ人々に出会い、「ナヴァラサ」Navarasa(2005/英語・タミール語)の着想を得たんだ。タミール語でアラヴァーニーと呼ばれるこの人たちは、この映画に出てくるお祭りで神話上の英雄アラヴァンと結婚式あげることを楽しみにインド中からやってくる。こういう人のひとりとしてボビー・ダーリンが出演しているんだ。ボビーは、この役でモナコ国際映画祭助演男優賞を受賞したよ。

―さすがにボビーは並み居る<彼女たち>の中でも光っていましたね。
この祭りに彼が突然現れて美人コンテストに出場し優勝してしまうんだ。この映画はドキュメンタリーとシリアスなドラマとファンタジーそれから、宗教的な題材などがコラージュされているけれども、基本的には真実をベースにした物語だと言えるね。

―どこから「ナヴァラサ(9つの感情)」という題名を思いつかれましたか?

元は古典舞踊の用語から来ている。全ての感情が映画の中にも含まれているんだ。ドキュメンタリー形式だから祭りに現れる自然な様々な感情も映しこんでいる。祭りの会場にカメラを4、5台と俳優を配置して、誰にも映画を撮っていると気づかれずに撮影した。だから、実際の様々な感情がそのまま現れていると言えるだろうな。

 
ナヴァラサ Navarasa(2005)
タミール語、英語、ヒンディー語/99分
製作・監督・脚本・撮影:サントーシュ・シヴァン/編集:A・スリーカル・プラサード
出演:シュエータ、クシュブー、ボビー・ダーリン
インド・ナショナル・アワード最優秀タミール映画賞
モナコ国際映画祭インディペンデント・スピリット賞/助演男優賞(ボビー・ダーリン)。
初潮を迎えた13歳の少女シュエータは、性同一障害に悩む伯父を追ってインド最大のゲイ・フェスティバル、クーヴァガムの祭り<アラヴァン・タライ>へと向かい、ボリウッドからやって来たボビー・ダーリンと旅を共にする……。
2007年3月、渋谷ユーロスペースにてモーニング&レイトショー公開
 
 









【Barsaat】ボビー・デーオルとトゥインクル・カンナーのダブル・デビュー作品で、彼の父親であるダルメーンドルが製作。兄サニー・デーオルのデビュー作Betaab(燃える恋)」(1983)に通ずる設定が見られ、冒頭、山村に住むボビーが虎と格闘する。

【トライブ】西方よりアーリア人が攻め込み、北インドにいたドラヴィダ人は南インドへ押されたが、それより以前の太古からインド亜大陸に住んでいた先住少数民族。分離独立後、アウト・カーストと共に後進優遇処置を受けるため、スケジュールド(指定)カーストと示される。または、アーディバーシと呼ばれる。1997年にブッカー賞を受賞したアルンダティ・ロイ「私の愛したインド」(片岡夏実訳/築地書館)に収められた「公益の名のもとに」では数千万人に及ぶアーディバーシが無補償で住処を追われるナルマダ・ダム問題について言及している。

【マッリの種】2002年に日本でもひっそりと公開されたアート系タミール語映画。ビデオ化タイトル:「ザ・テロリスト 少女戦士マッリ」。自爆テロの任務を受けた少女の話で、「ディル・セ」のサントーシュ・バージョンとも言える。主演のアイェーシャー・ダルカルは、その後「SW エピソード II」(2002=米)に抜擢された。子役時代の「マニカの不思議な旅」(1989=仏・ス)もオススメ。











【Meenaxi】監督のM・F・フセインは、マードゥリー・ディクシトをモデルに描いたインド女性シリーズで知られる現代インド美術界を代表する画家で、彼女主演で劇映画「Gaja Gamini」(2000)を制作。「Meenaxi」はこれに続く作品で、ハイデラーバード、ジャイメサール、チェコの三都を舞台にした幻想奇譚。当初、マードゥリーが配役されていたが産休のため、タッブーが起用された。
  ―あなたは国立テレビ映画研究所を卒業した後、地元のマラヤーラム語映画から活動を始められましたが、ヒンディー語映画での最初の作品について話してください。
アーミル・カーン主演の「Raakh」(1989)だ。それがシネマトグラファー(撮影監督)として参加した最初の作品なんだ。

―アーミル・カーンと一緒に仕事するのはどうでしたか?
大変難しいね(笑)。いや、冗談だよ。彼も友人さ。

ボビー・デーオル主演の「Barsaat(雨季)」(1996)ですが、彼の役は先住民族(トライブでしたね? あなたはご自分で監督された最初の短編映画「Story of Tiblu(ティブルーの話)」(1988)でトライブを主題に取り上げていますが、「Barsaat」の撮影でも何かアドバイスなどされたのですか?
いや、あの作品では、私は撮影をしただけだ。あれは厳密には先住民族ではない山村の住民だよ。私が撮った短編映画「Story of Tiblu」はヒマラヤの少数民族の少女が主人公で、元はこの民族の子どもたちを何かの形で支援したいという思いから始まった。これが私の監督としてのデビュー作で、その後シネマトグラファーとして他の監督の長編作品に招かれるようになった。それからマラヤーナム語映画を何本か撮って、「Malli」(1999)や「マッリの種」The Terrorist(1998)などを監督した。

―先住民族に個人的に関心が強いようですね。
私は旅がとても好きなんだ。学校に行って数人の限られた人から、限られたテーマのことを学ぶよりも、様々な場所に行ってその地の多彩な人たちから物事を学ぶ方がずっと勉強になると思う。
先住民族の人たちは私にとって、素晴らしい教師たちなんだ。彼らは一般社会の人たちよりも、自然に密着して生きているので、生活に役立つことをたくさん知っている。自分の直感に従って行動することとか、どんなときに雨が降るとか嵐が来るとか。実のところ、こういうことは撮影監督にとってとても重要な知識でもあるんだ。
Asoka(アショーカ王)(2001)にも出てくるけれど、自然の中から智恵を得て、様々な有益な助言をしてくれる。こうした智恵を神話として現代にまで継承しているのが先住民族たちなんだ。
直感に従うというのはとても大事なことで、例えば私はフィルムスクールなどで生徒に撮影技術を教えることがあるんだけれど、カメラの使い方がこうで、照明がこうでとたくさんの知識を伝えても皆教室では覚えられないと言う。そんな時は、彼らを森に連れて行ってこういう説明をするんだ。「ここに虎が二匹出てきたとする。どうする? 木に登るだろう。例えそれまで木登りの方法を知らなかったとしても、そのときにはきっと登れるだろう。撮影技術もそうだ。必要になれば直感が助けてくれるだろう」。

―日本のファンのために、「Asoka」に出演したシャー・ルク・カーンカリーナ・カプールについてお話いただけませんか。
シャー・ルク・カーンは、とても温かい人柄だ。礼儀正しく謙虚で思いやりがある。セットにやってくるときには、すっかり準備が整っていて、たとえ遅刻したとしてもシャー・ルクが来れば撮影はスムーズに進む。そういう天性のものを持っている人だ。
カリーナは…そうだねえ…。誇り高くてクールな人だね。

―アクションシーンは彼女が自分で演じていますか?
バックダンサーの一人がアクション・シーンを演じているが、彼女自身も一部やっているよ。

―撮影監督として参加された「Meenaxi(ミーナークシー)」(2004)と、この「ナヴァラサ」の編集は同じ方がされたのではないですか?
そう、同じだよ。

―ルック(画面の見栄え)とカッティング(編集のリズム)に似たような雰囲気を感じました。
映画としては、この2本はずいぶん性格の違うものだ。「Meenaxi」は音楽が重要なテーマで何もかもが作りこまれている。撮影は、ほとんどフィルムシティのセットで行われているしね。ラジャスターンで(多くのシーンを)ロケをしたんじゃないんだよ。監督が画家なので、絵を描くようにカラフルで詩的な情景を用意し、撮影はあまりカメラを動かさずに行った。
一方、「ナヴァラサ」はドキュメンタリーに近い作品で、あちこちで動き回って撮影している。

―ボビー・ダーリンとの仕事はいかがでしたか?
この「ナヴァラサ」に出て来るお祭りには、インド中から様々な人がやって来る。ボビー・ダーリンにはボリウッドを代表して実際にお祭りの美人コンテストに参加してもらったんだ。負けたら悔しがって泣く姿を撮影し、勝ったら喜んでいるところを撮ろうと思ってね。彼は優勝して、その後この映画で助演男優賞も受賞して、父親とも和解するなどもあって、とてもうれしそうだったよ。なかなか面白い俳優だ。

<ここで同行した通訳のインド人がボリウッド・スターになりたいのだがどうしたらいいかと言いだし、しばしその話題が続く…。シヴァン監督はそれに対し、ポートフォリオとしてビデオやダンス、これまでに出たCMなどの作品を納めたDVDを創ることを薦めるなど親身になって相談に乗っていた>

―スター志願から売り込みはありますか?
実際、びっくりするほど多くの人がボリウッド映画に出演したいと考えている。そういう人はインド人に限らない。以前、ロンドンで撮影をしていたとき、インド風のドレスを着た白人の女の子が来て、「ボリウッド映画に出たくて5年間踊りと演技を勉強した。アミターブと共演したいんだ」と言うじゃないか(笑)。

―それで、どうアドバイスされたのですか?
ボリウッドでトップスターになるにはインド人でなければダメだ、と言わなければならなかった。その時の彼女の落ち込みようと言ったら…。 
 
ナヴァラサ Navarasa(2005)
タミール語、英語、ヒンディー語/99分
製作・監督・脚本・撮影:サントーシュ・シヴァン/編集:A・スリーカル・プラサード
出演:シュエータ、クシュブー、ボビー・ダーリン
インド・ナショナル・アワード最優秀タミール映画賞
モナコ国際映画祭インディペンデント・スピリット賞/助演男優賞(ボビー・ダーリン)。
初潮を迎えた13歳の少女シュエータは、性同一障害に悩む伯父を追ってインド最大のゲイ・フェスティバル、クーヴァガムの祭り<アラヴァン・タライ>へと向かい、ボリウッドからやって来たボビー・ダーリンと旅を共にする……。
2007年3月、渋谷ユーロスペースにてモーニング&レイトショー公開
 
 



【ハヌマーン】
インド神話「ラーマヤーナ」に取り込まれた、猿の姿をした神。もともとは先住的な信仰対象であった。東南アジアでも篤く信奉される。TV「ラーマヤーナ」では、プロレスラーとして来日し力道山とも闘ったダラ・スィンが扮している。










【数霊術】数秘術とも言う。ユダヤ数霊術などが知られるが、ヒンドゥー数霊術もかなり強力。この時期、数霊術にあやかって改名するのがやや流行って、カリーナの他にスニール・シェッティーアクシャイ・カンナーなどもスペルを変えている。




























【シュリーデヴィー】1980年代から90年代初頭にかけてインド映画界を人気を博す。日本でもインド大映画祭98「Mr.インディア」Mr.India(1987)が上映。ミーラー・ナーイルの出世作「サラーム・ボンベイ!」(1998)で子供たちが劇場に忍び込んで見ているのは彼女の出演作。





















【ナショナル・アワード】インド政府が自国の映画産業を讚えるために設定。ただ、その選考には政治力が影響するとも言われる。
  ―主人公のシュエータがクーヴァガムの祭りに出かけてしまったサード・ジェンダーの伯父を連れ帰ろうとバスに乗り込む場面で、フロントガラスの真ん中に貼られたハヌマーンのステッカーが宙に浮いて飛んでゆくような効果を上げています。これは神話「ラーマヤーナ」の中でハヌマーンが拉致されたシーター姫を奪還に行く任務にシュエータの心情を重ねてイメージされたのですか?
そのとおり。叔父を連れ戻しに行こうとするシュエータにはハヌマーン、それとリティック・ローシャンが出演したFiza(フィザ)(2001)の暗示も含んでいる。
彼女の気持ちを表現する上でハヌマーンを使うのが面白いと思ったんだ。気づいてくれてうれしいよ。登場人物の将来を神話や占いをモチーフにして暗示する手法は、色んなところで使っているんだ。

<彼が撮影監督として参加した「Fiza」も、突然行方不明となり人生が大きく変わってしまった兄(リティック)を妹のフィザ(カリシュマ・カプール)が探し出す旅に出る。ただし、「Fiza」はムサルマーン(イスラーム教徒)の話>


―「ナヴァラサ」のオープニング・タイトルバックがオウムの辻占いでスタッフが紹介されてゆきますね。占いといえば、「Asoka」のスペルが、一般的なスペルである「Ashoka」から「Asoka」になったことや、カリーナが名前の綴りを変えたのも、数霊術の縁起を担いでのことと聞きましたが?
そんなことはないよ。Asokaと綴る人たちも大勢いる。発音によるんだ。私の名前もSantoshと綴る人もいるが、Santhoshと綴る人もいる。
ボリウッドでは占いを信じる人が多いが、私自身はあまり気にしない。もちろん信じている人をどうこう思う訳でもないが。大勢の人がそういうことを気にするものだ。ヒトラーでさえも占い師の意見を聞いていたし、ピーター・セラーズもイニシャルBとEに凝っていたことがあって、そのイニシャルの人と結婚したこともあるくらいだし。

―「Asoka」の着想を、ディル・セ 心から」Dil Se...(1998)で話題になった鉄道ミュージカル・ナンバル「chaiya chaiya」の撮影中にシャー・ルクに話したそうですね?
「Asoka」は1980年代から考えていた作品なんだが、 脚本の完成に時間がかかった。アショーカ王の名前は有名だが、実像ははっきりしていない。仏教に帰依する前は極端に残虐で悪い醜い王だったとされていて、中には身長が7フィート(2m13cm)を超えるという伝説もある。詳しい実像はわかっていないんだ。
この映画はギリシアなどに残る様々な伝説や民話を研究して脚本にまとめたものだ。様々な伝承の中からつくりあげた一つの話、一つの視点だということだ。アレキサンダー大王など、歴史上の人物の実像はほとんど知られていない。私がここでアショーカ王をこんな人でしたと描いたからといって、間違いとも言えないし、一つの視点でしかない。パキスタンとインドが戦争をしたら、互いに自国が正しいと主張するだろう。地域や見方によって物事は様々な形を持つんだよ。

―ところで、「ディル・セ」の中でシャー・ルクとプリティー・ズィンターが南インドの風景の中で踊る「jiya jiya」「頭目」Thalapati(1991/タミール語)におけるミュージカル・シーンのロケ地は同じ場所ではありませんか?
いや、「ディル・セ」は、ケララで撮影した。そういえば、最近ケララの観光用のフィルムをつくったんだよ。「頭目」は、タミルナードゥと一部マイソールで撮った。 シャー・ルクの映画では何かが起きてるKuch Kuch Hota Hai(1998)のタイトルソング・シーンをスコットランドで10日間だけ撮影している。

―「ナヴァラサ」でボビー・ダーリンが踊るヒンディー・ソングはシュリーデヴィーのナンバルですよね。1曲目は「Mr.インディア」Mr. India(1988)の「hawa hawaii」だと思うんですが、2曲目は?
古い映画主題歌のリミックスなんだ。基本的に最近の人たちはオリジナルよりもリミックスを好む傾向があるのでそれを伝えようとした。

―「ナヴァラサ」はタミールのお話で、少女が大人になって今までと違う世界に行くというものですね。ボビー・ダーリンもヒンディーの世界から別の世界へと向う旅をします。ヒンディー映画を見慣れた観客として、私も新しい世界へ旅立つような気持ちになりました。
そうだね、それだけじゃなく、色々な対比を見せたかったんだ。あのお祭りにはインド中から本当に様々な言語を話す人が大勢やって来る。ボビー・ダーリンはヒンディー圏のスターで、サード・ジェンダーを持つことを隠さず、特別なものとしてむしろ誇りに思っている。でも、あそこには色々な人がいる。普段は隠していて4日間だけこのお祭りで自分の本当の姿を現して、また戻っていく人たち。そういう様々な人間像を対比を際立たせるためにボビー・ダーリンを起用したんだ。

―お祭りに連れて行ったのはボビー・ダーリンだけですか?
シュエータとボビー・ダーリン以外は、全員祭りの会場で出会ってキャスティングしたんだよ。叔父のガウタム役も含めて。ボビー・ダーリンは、あの祭りに飛行機でやって来た唯一の人かもしれない(笑)。

―ボリウッドの大スターたちと映画を作ることと、こうした無名の人たちと作るのとでは大きな違いがあると思うんですが。
そうだね。大スターたちはプロフェッショナルだし、自分の演技というものを心得ている。一方、無名の人、特に子どもたちなんかはそういうことをまったく考えていない。私は子どもを主人公にした映画も2本撮っているけれど、とても楽しんで撮ったし、国際的にも評価もされた。ナショナル・アワードを始め、いくつか賞ももらったしね。それとマドラスに住んでいる以上、この地域での映画作りは重要だと思っている。地元だったら今何が起こっていて、何が必要かすぐわかるからね。確かに有名なスターの出る大規模な映画と、小さな映画は大きく違うが、私はどちらの映画作りも心から楽しんでいるよ。
 
   
    本インタビューは、ナマステ・ボリウッド#02に掲載したインタビューの完全版である。
2006年11月3日、「ナヴァラサ」配給元のオフィス・サンマルサンのご好意により渋谷NHKスタジオでの時間枠45分をいただいた。インタビューにはKJRと通訳として在日NRIが同行。英語で行われたインタビューテープをYurakが日本語テキスト化、文責はリライトしたKJRにある。
インタビュー中、また複数の質問者が問い掛けをしているため、質問コメントは統合してあるが、監督のコメントは基本的に書き換えることはしていない。
 

 

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