国境にかけるスクリーン vol.4 – ぼくの国、パパの国
1971年、英国マンチェスター郊外ソルフォード地区に住む在外パキスタン人ジョージ・ハーン(1)は、英国人の妻と結婚して25年。7人の子供たちは母親が英国人ということもあってキリスト教文化に親しんでいる。
もっとも、これは厳格な父親に隠れてのこと。ジョージは子供たちにパキスタン人らしい伝統的な生活を求め、息子たちの縁談を取りまとめることに腐心する。
しかし、長男ナーズィルが結婚式の最中に出奔。一家の面汚しをした長男は亡き者にされ、一層ジョージは息子たちの縁談を取りまとめようと躍起になり、一家は分裂し始める…。
アイデンティティーに悩む在外パキスタン人
「ぼくの国、パパの国」East is East/1999
英アカデミー英国作品賞を受賞し、日本でも「ぼくの国、パパの国」という邦題で2001年に公開されたこの映画は、パキスタン系の演劇人アーユブ・ハーン-ディンの自伝的舞台劇を脚色したイギリス映画。
印パ分離独立以前に英国に渡った父親(ボリウッド名優のオーム・プーリー)は、ジョージという英国名と英国人の第2妻を持ちながらパキスタン人としての伝統にこだわり続けている。
ことあるごとに「第1夫人を呼び寄せるぞ」と口にする彼は、現代の視点からすれば立派なドメスティック・バイオレンスとなるが、経済成長に伴いボリウッド映画でも見かけなくなった威厳ある父親像は見ていて清々しくもある(見ている分に限ってだが)。
時代設定の1971年といえば、バングラデシュ独立を許した第3次印パ戦争の年。家庭崩壊の危機に揺らぐジョージの挫折感が、これに重なり合う。
当時は西洋社会自体が旧世代と新世代で闘い合った、変革の時代だ。両親たちの母国とは異なる国に生まれ育った「デシ」(2)たちはなおさら、新しいムーヴメントに魅了されたことだろう。
映画にユーモラスな息吹を吹き込んでいるのが、末っ子で、いつもフード付きの
コートを着込んでいるザジ。これが彼の<割礼>問題のメタファーになっていて、ある日、神学校で皆の知ることとなり、家に通告され、西洋医院での<手術>となる。
このエピソードは在日ムスリムたちにも通じる悩みで、特に日本人妻の家庭では切実な問題として映るようだ。
伝統的にも、世代的にも「守り、伝える」べき意識が失われてしまった感のある現代日本社会が問い直されているかのように思えてならない。
(1)ハーン ウルドゥー読みのKhanをカタカナに置き換えた表記。正確的な発音はカとハの中間、とされる。ヒンディー読みは「カーン」。
(2)desi=語源は国/郷を表すdesh、転じて同国人・同胞。在外南アジア人共通の語彙で、ABCD=American Born Confused DesiやBBCD=British Born Confused Desi等、二世の心情に使われる。
(すぎたカズト)
初出「パーキスターン No.216 2008/3」(財) 日本・パキスタン協会