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国境にかけるスクリーン vol.6 – Veer Zaara

2010.10.18

Veer Zaara ザーラー(プリティー・ズィンターは、パーキスターンに暮らす良家の子女。祖母のように慕っていたスィク教徒の乳母が今際のきわに言った「インドに散骨して欲しい」という願いを叶えるべく、単身家を飛び出し国境を越えてインドへ入る。
バスの事故が縁で知りあったインド空軍のパイロット、ヴィール(シャー・ルフ・ハーンは、純真な彼女の願いを聞き入れ、乳母の散骨を手伝う。いつしかふたりに愛が芽生え、国境を越えたヴィールは彼女の婚約者によってスパイ容疑で投獄されてしまう。そして、22年の月日が流れ…。

人としての誇り、無償の愛が和平をもたらす
Veer Zaara(2004)/ヴィールとザーラー

監督のヤシュ・チョープラーは、英領インド時代のラーホール(現パーキスターン)出身。分離独立50年あたりからなにかとパーキスターンを悪とするボリウッド映画での風潮に終止符を打つべく本作は作られた。
一方的な婚約に縛られた女性をヒーローが獲得するストーリーは、彼の息子が監督したDDLJ(1995)に通じるテーマである。当時は花嫁の父が鬼のような形相を剥き出し、婚約者が銃を手にして主人公を阻もうとした。
だが、本作の父親はただ卒倒してしまうし、婚約者も彼をスパイとして密告するだけで、10年前なら展開されたような血まみれの格闘は見られない。
これは時代が変化しただけでなく、監督の意図が印パの不和を憂うところにあるためだろう。
本作の登場人物は、実によく名乗る。刑務所の看守でされ、その役職を盾にすることなく、自分の名前を名乗る。それは誰もが誇りを持っていることの表れだ。
20年以上に渡って投獄されながらも、ヴィールは自分の無実を証明出来るザーラーの名を決して口にすることはなかった。なぜなら、結婚して子供も産んでいるであろう彼女の<名誉>を傷つけることになるからだ。同時にそれは、彼女への<無償の愛>を意味する。
密告する婚約者の手口は陰湿ではあるが、場面はそこまでで後々、彼が登場することはない。
つまり、脚本上、パーキスターン側の「個人」に憎しみが向かないように配慮されているわけだ。印パ問題に関して憎むべきは二国間の緊張をもてあそぶ政治のシステムであって、人としては憎み合ってならない、との主張が読み取れる。
ヴィールが彼女に抱く<無償の愛>、それはすなわち、同じ大地に生き分かれた同胞への想いとも言えよう。

★ボリウッドは、ハリウッドになぞったヒンディー/ウルドゥー映画の愛称。古くからパキスタン人にもこよなく愛される。世界各国に散った在外市場を持つ規模から、もはやインドの国内映画とは呼べない状況に成長。

シャー・ルフ・ハーンは、Shah Rukh Khanのウルドゥー読み。ヒンディー読みでは、シャー・ルク・カーンとなる。
(すぎたカズト)

初出 「パーキスターン No.218 2008/7」(財)日本・パキスタン協会

Veer Zaara

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