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ボリウッド・インタビュー(2)グルザール

2011.01.31

ナマステ・ボリウッド創刊4周年を振り返って、これまで本誌で掲載したボリウッド映画人8名のインタビューを月1でアップしてゆきます。

Gurzar sahib

(c)Namaste Bollywood, 2007.

「Guru」(2006)、「Jaan-E-Mann(愛しき人よ)」(2006)、「Omkara」(2006)、「Paheli(なぞかけ)」(2005)、「Bunty Aur Babli(バンティーとバブリー)」(2005)などで知られるインド映画界の大御所であり詩人のグルザール氏が日印友好50周年記念国際シンポジウム「現代インド文学-潮流と課題-」のため来日。映画と詩作について語っていただいた。
(Namaste Bollywood #06 / 2007,6月号初出短縮バージョンを改訂完全再録)

KJR:グルザールさんが手がけられた作品のうち、監督作Kitaab(本)」(1977), 「Hu tu tu」(1999), 脚本「Guddi(人形)」(1971)など色々と見せていただきました。25歳でボンベイに来られた時、どのようなきっかけで映画界に入られたのでしょうか?

Gulzar:それを話し出したら長くなる*1。まあ、私としては映画界に入ったという氣はなくて、あくまでも文学をやっているという氣持ちでいるんだよ。その頃、私の生活は苦しくて、自動車の修理工をやりながらなんとか文学で身を立てたいと思っていた。ある日、有名な映画監督ビマル・ローイ*2が電話をかけてきて、映画音楽の詞を書いてくれと依頼してきたんだ。私は「mora gora ang laile」*3という詞を提供し、それがヒットしたという訳だ。

*1:フィルモグラフィによると、映画に関わった第1作は、ラージ・カプール主演「Shriman Satyawadi」(1960)の作詞/助監督。
*2 ビマル・ローイ: 撮影監督/映画監督。シャー・ルク・カーン主演「Devdas(デーヴダース」(2002)の原型となるトーキー・ヒンディー版「Devdas」(1936)の撮影を手がけ、後にディリープ・クマール主演のリメイク版「Devdas」(1955)を監督。芸術肌の監督として知られる。
*3「mora gora ang layee le」:ビマル・ローイ監督作「Bandini」(1963)のメモラブル・ナンバル。音楽はR・D・バルマンの父、S・D・バルマン。女囚であるヒロインのヌータンカジョールの伯母)が回想場面でひとり想い歌う。プレイバックはラター・マンゲーシュカルアーシャー・ボースレーの姉)。

KJR:ローイ監督は、グルザールさんのことをどうやってお知りになったんでしょう?

Gulzar:私は修理工をしてはいたが、作品は発表していて文学界では多少名が知れていたんだ。ローイ監督は修理工はやめるように、そこは君の居場所ではないと言ってくれた。私は映画音楽の作詞を仕事にするつもりはないと答えたんだが、それなら自分のアシスタントとして勉強して映画監督になればいいと。そういう風にして映画界に入り、たくさんの歌を作詞したし、監督として映画も撮った。どちらも自分の望みではなかったのに、運命に導かれて思いがけない人生の転機になった訳だよ。後に脚本も手がけるようになり、映画界に馴染みはしたが、文学への情熱を失うことはなかった。詩や小説は書き続けたし、本も出版している。今回の来日は、そうした文学者グルザールへの招きに応じたものだ。

Kitaab

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KJR:運命に導かれるということでいえば、あなたの映画(監督作)Kitaab(1977)にも、同じように少年が運命に翻弄される中で、勉強をしようと悟っていきますね。これは実体験に基づいていますか?

Gulzar:その通り。あれは自伝的な部分を持った(投影された)作品*4だ。少年が家を出たように私はデリーを出た。私はデリーで少し学校に通っていたんだが、その頃、家族の一部が長兄と一緒にボンベイに移住することになったんだ。私もボンベイに行き、進学も考えたがPWA(Progressive Writer’s Association/新進作家協会)に加入したのをきっかけに、本格的に文学活動を開始した。出版した本が評判を呼び、ローイ監督の助手をしていた文学仲間を通じて監督の目に止まったんだ。1965年に監督が亡くなった後は、他の監督のために詞を提供してきたが、1970年に初めての映画を監督したよ。

*4:原作はベンガリー文学者サマレーシュ・バス「Pathik」。グルザール氏は彼を愛読していて、その他に「Namkeen」(1982)でも「Akal Basant」を原作にしている。

KJR:「Mere Apne(私の身内)」*5(1970)ですね。

*5「Mere Apne(私の身内)」(1970):往年の人氣女優ミーナー・クマリが老女を演じ、実の子たちに疎まれるも下町の不良青年たちが親身になってくれるインド版「東京物語」のようなストーリー。対立する不良青年をブレイク前のヴィノード・カンナーWantedアクシャヱ・カンナーの父)とシャトルガン・スィナーDostanaDabangg」ソーナークシー・スィナーの父)が瑞々しく演じ、暴力場面も当時として出色の演出。

Gulzar:ああ。以前読んだ文学作品のキャラクターがずっと心に残っていて、その話を書いた。最後に監督した映画が「Hu Tu Tu」*6(1999)。これは1997年のインド独立50周年を機に作った政治的な作品だ。50年間のインドの政治への私の印象を表したもので、一人の無垢な女教師がいかにして野心的な政治家に変貌して行ったかを描いた。この作品を最後に、私は映画作りの仕事を減らし、作家活動により力を入れるようになった。それからちょうど10年間で10冊ほどの本を出版した。詩集4冊、短編集2冊。また、以前ウルドゥーの伝説的詩人をテーマにしたTV番組「Mirza Ghalib」*7を制作したので、伝記とシナリオの本も出した。

*6「Hu Tu Tu」(1999):タイトルは、方言でカバディの意。マニ・ラトナム監督作ディル・セ 心から」Dil Se…(1998)に通じる政治テロ映画。ナーナー・パーテーカルスニール・シェッティータッブー主演。スハーシニー・ムレーイが農村の女教師から州首相へ登り詰めるも娘を犠牲にする役でNational Film Awards助演女優賞受賞
*7「Mirza Ghalib」:ミルザー・ガーリブの名で知られるウルドゥーの詩聖ミルザー・アサドゥラー・ベイグ・ハーン(1797~1869)。映画化されたNational Film Awards受賞作「Mirza Ghalib」(1954)も名高い。グルザール氏制作のTVシリーズはインド国営放送ドゥールダルシャンで放映され、名優ナスィールディン・シャーがミルザー・ガーリブに扮し、深遠なバックスコア、ジャギート・スィンの歌声、グルザール氏自身による味わい深いナレーションが楽しめる。

Gulzar:詩作では、ひとつ新しい試みを始めた。トリヴェーニー(Triveni)という日本の俳句に似た三行詩のスタイルを創作したんだ。最初の二行は対句になっていて、三行目でがらりと雰囲気が変わる。俳句と似ているのは、情景を表しているところだね。例えば昨日作ったものだが、

「小鳥は枝を飛び立ち
枝がしなやかに揺れる
戻れというのか、さらばと言うのか」

というものだ。どうだい、ちょっと面白いだろう?
三行詩の他に社会問題を扱った詩も多い。恋愛を扱ったものもある。若い頃は恋の詩を作るのはあまり好きじゃなかったんだが、年とともにより多く作るようになった。ロマンスというものは記憶の中でこそ輝くものなんだ。また、時事評論も昔から書き続けている。若い頃は国内のことが中心だったが今はもっと広い国際的な視野を持つようになった。若い頃インド-パキスタンの分離を目の当たりにしたので、国内情勢に囚われていたんだ。知っているかね。あれは全くひどい流血の惨事だった。だから文学的にも書くべき題材がたくさんあったんだ。しかし、今になって振り返ってみると、日本にはヒロシマというもっと大きな惨事があった。より広い視野に立つと、インドのことだけではなく、人類全体が救われなければならないことが解る。ヒロシマには続きがある。あれで終わった訳ではなく、世界に飛び散った火種があちこちでくすぶり燃え上がった。インドで、パキスタンで、ベトナムで。ヒロシマは人類最大の悲劇だった。それはあなたたちの国に起こったことだ。そして、今も世界の国々に飛び火し続けている。このことは私が詩人として、文学者として表現し続けるモチベーションになっている。
ところで、その小さい女の子(編集部スタッフのひとり。子供ではなく大学生)は、いったい全体何を書いているんだい?

Tome:あなたのお話を書き留めているんです。後で思い出せるように。

Gulzar:私の言葉を書いているのか。それにしてもすごい速さで書くね(笑)。

KJR:インドでは若い世代のヒンディー(語)離れが進んでいるようですが、これについてはどうお考えですか?

Gulzar:今の若い世代は、我々の頃と違ってはるかに広い視野を持っている。自分の国だけに属するのではなく、生まれながらの地球市民だ。インド内外を問わず、若者は皆国際的視野を持っており、それなりの責任を果たすことが求められている。私はその意味では若い世代に信頼をおいている。この星を飛び出して宇宙から地球を見ることができる世の中だ。そこには国境や政治は存在しない。嫌でも人の視点はグローバルになる。若い世代は国境を越えて手を携え、人間性、愛、そして自然環境を守っていく責務があるんだ。60年前、第二次世界大戦の最中には、木や鳥や魚や海に目を向けることはできなかった。戦争は国家や人を傷つけただけではなく、自然にも大きな傷を負わせ、未来に大きな借りを作った。反戦平和に向けた活動は、我々の使命なんだ。今回私が日本の大学を訪問したように、両国の学生たちが互いの大学を訪ねあって欲しい。勝ち負けのない平和のゲームを楽しみ、手を取り合って親しくなってもらうことを望んでいるんだ。

Dil Se..

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KJR:ありがとうございました。最後に「チャイヤー・チャイヤー(chhaiyaa chhaiyaa〜影よ影よ)」*8が収録されたコンビレーションCD「Club Bollywood」で歌詞の日本語訳をされた村山和之氏(和光大学オープンカレッジぱいでいあ講師)からの質問にお答えいただけますでしょうか。

*8「chaiyaa chaiyaa」:シャー・ルク・カーン主演「ディル・セ 心から」で列車上でダンスが展開され、東京国際映画祭上映時も話題となったナンバル。後にスパイク・リーが米「インサイドマン」のオープニング+エンディング曲として再使用。ただし、エンディング・タイトルバックでは余計なラップがインサートされている。

村山:「chhaiyaa」という言葉は本来何語で使われるものなのでしょうか? ヒンディーですか、パンジャービーですか? それとも…

Gulzar:ヒンディーだよ。チャイヤーはチャーヤーつまり「影」という意味を表すヒンディーの方言なんだ。

村山:どの地域の方言でしょう?

Gulzar:ウッタルプラデーシュやマトゥラーなどで親しまれている「bansri baja rahe kadambh ki chhayaa(カダムブの木陰に笛吹きが)」という民謡がある。クリシュナ神が聖なるカダムブの木陰でバンスリを吹いているという内容だ。この歌からチャイヤーという単語をもらって「影の中を歩め、足元には天国がある」という詞を書いたんだ。

村山:カダムブの綴りはこれでよろしいですか?

Gulzar:あなたはヒンディーの文字が書けるんだね。素晴らしい。

Yurak:私たち皆ヒンディーを勉強しているんです。

Gulzar:それはいいね。皆さんに会えてうれしいよ。

abida

アビダー・パルヴィーンとの共作CDをティラキタで試聴する

村山:パキスタンの女性シンガー、アビダー・パルヴィーンと組まれたCD「Heer(ヒール)」について教えてください。

Gulzar:ヒールは、パンジャーブ地方の伝説だ。これを18世紀の偉大な詩人ワーリス・シャーが作品として書き起こした。愛の伝説なんだが、その物語の中に彼独自の哲学やこの地方の文化についての語りを盛り込んだ。このCDは、それをさらにスーフィー音楽としてまとめ上げたものだよ。

村山:ありがとうございました。これは日本手ぬぐい(桜と月の染め抜き)です。どうぞお納めください。木の下にクリシュナは見えませんが。

Gulzar:綺麗だ。ありがとう。部屋に飾るよ。皆さんと話せて楽しかった。

KJR:お目にかかれて大変光栄でした。

Gulzar:こちらこそ。そしてこのすごい速さで字を書いている小さな女の子もご苦労様(笑)。

KJR:奥様のラーキー*9さんにもどうぞよろしくお伝えください。

*9 ラーキー・グルザール:70年代の人氣女優でアミターブ・バッチャン主演作のヒロインを務め、80年代からは母親役にシフト。Karan Arjun」カランとアルジュン(1995)にも出演。ベンガーリー映画「Shubho Mahurat」(2003)でNational Film Awards助演女優賞受賞。娘のメグナー・グルザール「Fihaal…」(2002)で監督デビュー。

Gulzar:ありがとう。伝えるよ。手ぬぐいを見せたら盗られそうだ。そしたら、木のところをやって私は月をもらうとしよう。では、写真を後でメールで送っておくれ。さようなら。

interview by Kajuto Sugeeta, Kazuyuki Murayama / translation by Yurak

Namaste Bollywood

Namaste Bollywood #06, 2007.

>グルザール監督とのインタビューを振り返って
とにかく心温かい大人物、氣さくで若々しい精神の持ち主。その後、かのA・R・ラフマーン氏にインタビューした時もグルザール氏のお人柄を讃えていた。

インドの若者がヒンディー離れにある現状についての質問では、さぞかしそれを嘆く答えが返ってくるかと思いきや、まったく予想とは正反対。さすがボリウッドのトップ・リリシスト(作詞家)である。このような感性でなければ、あの年齢で「Bunty Aur Babli(バンティーとバブリー)」(2005)のメガヒット・ナンバル「kajra re」「Kaminey(イカれた野郎)」(2009)などの作詞は務まらなかったであろう。

本インタビューの翌年に手がけた英米合作「スラムドッグ$ミリオネア」の主題歌「jai ho(勝利あれ)」米アカデミー賞主題歌賞、さらに米グラミー賞主題歌賞も獲得。
2010年はヴィッディヤー・バーランが主演女優賞の総なめとなる「Ishqiya(色欲)」、インド神話「マハーバーラタ」を現代政治一族の争いに置き換えたマルチスター巨編「Raajneeti(政祭)」、同じくインド神話「ラーマヤナ」を下敷きにしたアビシェーク・バッチャン N アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン主演Raavan」ラーヴァンサルマーン・カーン主演の戦記大作「Veer」から小粒な新鋭ニュー・ストリーム「Striker」まで実に様々な作品に作詞を提供。その健在ぶりが喜ばしい限り。

O・ヘンリを翻案したアジャイ・デーヴガン N アイシュワリヤー・ラーイ主演Raincoat(2004)で乞われて披露した自作詩の朗読もまた味わい深く忘れがたい。

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