ボリウッド・インタビュー (1)サントーシュ・シヴァン
ナマステ・ボリウッド創刊4周年を振り返って、これまで本誌で掲載したボリウッド映画人8名のインタビューを月1でアップしてゆきます。
第7回NHKアジア・フィルム・フェスティバルにて「ナヴァラサ」Navarasa(2005=タミル語/英語)が上映され、サントーシュ・シヴァン監督が来日。監督及び助演のボビー・ダーリンがボリウッドで活躍する映画人であるため、ナマステ・ボリウッドとしてもさっそくラヴコールを送り、単独インタビューする機会を得た。
(Namaste Bollywood #02 / 2006,12月号初出を改訂)
KJR:あなたは国立テレビ映画研究所を卒業した後、地元のマラヤーラム語映画から活動を始められましたが、ヒンディー語映画での最初の作品について話してください。
S.Sivan:アーミル・カーン主演の「Raakh(燃えかす)」(1989)だよ。それがシネマトグラファー(撮影監督)として参加した最初の作品になる。
KJR:アーミル・カーンと一緒に仕事をするのはどうでしたか?
S.Sivan:大変難しいね(笑)。いや、冗談。友人なんだよ、彼も。
KJR:コマーシャル・フィルムの撮影も手がけていますね?
S.Sivan:シャー・ルク・カーンとコマーシャル・フィルムも一緒に撮っているよ。AB…アミターブ・バッチャンともポリオに関する公衆衛生啓発の短いタミル語の映画を作ったんだ。エイズ防止のキャンペーン・フィルムも作ってそれを通じてサード・ジェンダーを持つ人々に出会い、「ナヴァラサ」の着想を得た。タミル語でアラヴァーニーと呼ばれるこの人たちは、映画に出て来るお祭りで神話上の英雄アラヴァンと結婚式をあげようとインド中からやって来る。ここにボビー・ダーリンが突然現れて美人コンテストに出場し優勝してしまうんだ。この映画はドキュメンタリーとシリアスなドラマとファンタジーそれから、宗教的な題材などがコラージュされているけれども、基本的には真実をベースにした物語と言えるね。
【ポリオ】急性灰白髄炎。ポリオウイルスを汚物や飲食物経由で体内に取り込んでしまい、急性麻痺症状に至る感染症。子供は玩具などに触れた手を口に運んでしまうので感染しやすい。日本ではワクチンの予防接種により根絶。常在国インドでは6回の予防接種が必要とされる。アミターブ・バッチャンが出演したそのCFは、日本でもネット配信のインド系TVで見ることが出来た。
【アラヴァーニー】それまでの賤称アリを撤回すべくサード・ジェンダーが提唱している呼称。大叙事詩「マハーバーラタ」タミルナードゥ版のみに伝承される神話エピソードに由来するアラヴァン信奉者の意。北インドでは俗にヒジュラーという語彙が用いられている。
KJR:マイノリティーに関心が強いようですね。
S.Sivan:私は旅がとても好きなんだ。学校に行って数人の限られた人から、限られたテーマのことを学ぶよりも、様々な場所に行ってその地の多彩な人たちから物事を学ぶ方がずっと勉強になると思う。トライブ(先住民族)の人たちは私にとって、素晴らしい教師たちなんだ。彼らは一般社会の人たちよりも、自然に密着して生きているので、生活に役立つことをたくさん知っている。自分の直感に従って行動することとか、どんな時に雨が降るとか嵐が来るとか。実のところ、こういうことは撮影監督にとってとても重要な知識でもあるんだ。「Asoka(アショーカ王)」(2001)にも出て来るけれど、自然の中から智恵を得て、様々な有益な助言をしてくれる。こうした智恵を神話として現代にまで継承しているのが先住民族たちなんだ。
【トライブ】西方からアーリア人が攻め込み、南インドへ押されたドラヴィダ人より古くから住んでいた先住民族/少数民族。分離独立後、アウト・カーストと共に優遇処置の対象となり、スケジュールド・カースト(指定カースト)と示される。
KJR:「Asoka」に出演したシャー・ルク・カーンとカリーナー・カプールについてお話いただけませんか?
S.Sivan:シャー・ルク・カーンは、とても温かい人柄だ。礼儀正しく謙虚で思いやりがある。セットにやって来る時には、すっかり準備が整っていて、たとえ遅刻したといてもシャー・ルクが来れば撮影はスムーズに進む。カリーナーは…そうだなあ…。誇り高くてクールな人だね。
KJR:アクション・シーンは、彼女が自分で演じていますか?
S.Sivan:バックダンサーのひとりがアクション・シーンを演じているが、彼女自身も一部やっているよ。
KJR:スター志願者から売り込みはありますか?
S.Sivan:実際、びっくりするほど多くの人がボリウッド映画に出演したいと考えている。そういう人はインド人に限らない。以前、ロンドンで撮影をしていた時、インド風のドレスを着た白人の女の子が来て「ボリウッド映画に出たくて5年間踊りと演技を勉強した。アミターブと共演したい」と言うじゃないか(笑)。
KJR:どうアドバイスされたのですか?
S.Sivan:ボリウッドでトップスターになるにはインド人でなければダメだ、と言わなければならなかった。その時の彼女の落ち込みようと言ったら…。
KJR:ところで、「ディル・セ 心から」Dil Se..(1998)の「jiya jiya」と「Thalapati」頭目(1991=タミル語)におけるミュージカル・シーンのロケ地は同じ場所ではありませんか?
S.Sivan:いや、「ディル・セ」はケーララで撮影した。そう言えば最近、ケーララの観光用のフィルムを作ったんだよ。「Thalapati」はタミルナードゥと一部マイソールで撮った。シャー・ルクの映画では「Kuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)のタイトルソング・シーンをスコットランドで10日間だけ撮影している。
【Thalapati】「頭目」の邦題で「大インド映画祭1998」にて上映。マニ・ラトナム作品ながら、その後、「ダラパティ/踊るゴッドファーザー」の醜題でビデオ化。
【スコットランドで10日間だけ撮影】ロケ地は、日本のCFにも使われたエラン・ドナン城周辺。「KKHH」の英国ロケはソング・シーンだけでなく、長椅子で寛ぐ田園風景のオープニング、化粧したカジョールが笑われた後にラーニーが慰めにゆきシャー・ルクとスリー・ショットになる場面、そして氣がまわらないシャー・ルクがカジョール相手に愛を囁く練習をする場面も。
KJR:「ナヴァラサ」でボビー・ダーリンが踊るヒンディー・ソングは、シュリーデヴィーのナンバルですよね。1曲目は「Mr,India」Mr,インディア(1987)の「hawa hawaii」だと思うんですが、2曲目は?
S.Sivan:古い映画主題歌のリミックスなんだよ。基本的に最近の人たちはオリジナルよりリミックスを好む傾向があるのでそれを伝えようとしたんだ。
【ボビー・ダーリンが踊るヒンディー・ソング】その他に、ボビー・ダーリンが口ずさんでいるのは、撮影当時、大当たりしていた「Dhoom(騒乱)」(2004)のメガヒット・ナンバル「dhoom machale」など。
【シュリーデヴィー】1980年代~90年代にかけて人氣を博したトップ女優。舞踊の巧みさでは、かのレーカーと双璧をなす。日本でも「大インド映画祭1998」にて「Mr,India」が上映。ミーラー・ナーヤル監督の出世作「サラーム・ボンベイ!」Salaam Bombay!(1988)にて劇場で子供たちが真似をしながら観ているのが撮影時にメガヒットしていたこの映画。
KJR:「ナヴァラサ」はタミルのお話で、少女が大人になって今までと違う世界に行くというものですね。ボビー・ダーリンもヒンディーの世界から別の世界へと向かう旅をします。ヒンディー映画を見慣れた観客として、新しい世界へ旅立つような氣持ちになりました。
S.Sivan:そうだな。それだけじゃなく、色々な対立を見せたかったんだ。あのお祭りにはインド中から本当に様々な言語を話す人が大勢やって来る。ボビー・ダーリンはヒンディー圏のスターで、サード・ジェンダーを持つことを隠さず、特別なものとしてむしろ誇りに思っている。でも、あそこには色々な人がいる。普段は隠していて4日間だけこのお祭りで自分の本当の姿を現して、また戻ってゆく人たち。そういう様々な人間像の対比を際立たせるためにボビー・ダーリンを起用したんだ。
KJR:主人公の少女が伯父を捜しに出かける時、彼女が乗ったバスのフロントガラスにハヌマーン神のステッカーが貼ってあって、まるで空を飛んでいるように映し出されます。これが、彼女の心境を代弁しているように思えました。
S.Sivan:そういう意味合いも多分に含んでいるよ。映画というものは多くのものを取り入れて出来上がってゆくものだ。そして様々な観客の心に訴えてゆかねばならない。撮影中は特に意図したものでなくとも、出来上がってみると映画に不可欠な効果をもたらすことがある。そこが映画作りの面白いところだ。
【ハヌマーン神】インド神話「ラーマヤナ」で誘拐されたシーターを救い出す猿の英雄。サントーシュが撮影を手がけた「Raavan」ラーヴァン(2010)は、このエピソードを現代に置き換えて映画化している。
KJR:ボリウッドの大スターたちと映画を作るここと、こうした無名の人たちと作るのとでは制作的な行為として大きな違いがあると思うのですが。
S.Sivan:確かに。大スターたちはプロフェッショナルだし、自分の演技というものを心得ている。一方、無名の人、特に子供たちなんかはそういうこと(演技をするということ)をまったく考えていない。私は子供たちを主人公にした映画も2本撮っているけれど、とても楽しんで撮ったし、国際的にも評価された。ナショナル・アワードを始め、いくつも賞をもらったしね。それとマドラス(現チェンナイ)に住んでいる以上、この地域での映画作りは重要だと思っている。地元だったら今何が起こっていて、何が必要なのかする解るからね。確かに有名なスターの出る大規模な映画と、小さな映画は大きく違うが、私はとちらの映画作りも心から楽しんでいるよ。
interview by Kajuto Sugeeta / translation by Yurak

(c) Santosh Sivan Films, 2005
「ナヴァラサ」Navarasa
(2005=タミル語/英語/ヒンディー語)
製作・脚本・監督・撮影:サントーシュ・シヴァン/出演:ボビー・ダーリン、シュエーター、クシュブー/National Film Awards タミル映画賞、モナコ国際映画祭インディペンデント・スピリット賞+助演男優賞。2007年3月、渋谷ユーロスペースにてモーニング&レイトショーにて公開(配給/オフィス・サンマルサン)。
初潮を迎えた13歳の少女シュエーターは、性同一障害に悩む伯父を追ってクーヴァガムの祭り<アラヴァン・タライ>へと向かい、ボリウッドからやって来たボビー・ダーリンと旅を共にする…。
>サントーシュ・シヴァン監督とのインタビューを振り返って
本誌創刊当初、NHKアジア・フィルム・フェスティバルでの「ナヴァラサ」上映に伴う来日情報を入手。最初に会ったボリウッドワーラー(ボリウッド映画人)がサントーシュ・シヴァン監督となった。とは言え、「ディル・セ」などマニ・ラトナムと組んだ「撮影監督」としてのイメージが強かったものの、現在、振り返ってみるとゼロ年代半ばからは撮影監督としての仕事よりも「映画監督」として自作のプロジェクトに比重を強めたのが解る。演出面での実力も格段に向上し、「Tahaan」タハーン 少年とロバ(2008)では一級品の仕上がりを見せる。
翌2007年、日本映画撮影監督協会の招きで再来日。ティーチ・イン会場の入口でばったりシヴァン監督と再会。サインしてもらおうと思って持参した「Raakh」のDVDを見せるや「どこで手に入れた? 俺も持ってないんだよ、これ」と言われ、そのまま進呈。再入手の際にはプレミアがついて3倍近い価格となっていたが、これもよい思い出か。
(ナマステ・ボリウッド/すぎたカズト)
*2011年1月22日開講の「ボリウッド講座4@早稲田大学」にて、サントーシュ・シヴァン監督をはじめとするボリウッドワーラーとのインタビュー裏話をトークします。