Home » カタックを語る, コラム

カタックを語る。#08

2011.05.02

みやびカタックダンスアカデミー

Devdas(2002)でマードゥリー・ディクシトに振付を施したインド人間国宝Pt.ビルジュ・マハラジ師に直接師事したインド宮廷舞踊家、佐藤雅子女史みやびカタックダンスアカデミー主宰)による「ナマステ・ボリウッド」連載コラム。華麗な舞踊について月1でアップしてゆきます。
カタックを語る。
#08 国境を越えた舞姫〜Noor Jehanー
(ナマステ・ボリウッド#10号/2008年2月号初出)

2006年、パキスタン公演のこと。慌しいスケジュールをぬって、ラホールでムガル時代の史跡を見学させていただいた。深く印象に残ったのはジャハンギール皇帝の妻ヌール・ジャハン皇妃の聖廟である。広く豪奢な皇帝霊廟に対し、皇妃の霊廟は人気の無い草原にひっそりと建つ。内部を特別に見せてもらった。昔は大理石が貼られ宝石も嵌め込まれていたというが、後継者に剥奪され、現在は石が剥き出しのままだ。<世界の光>という意味であるヌール・ジャハンは、どれほどの美しさを誇っていた女性であったのだろう。
パキスタンには同名の伝説の舞姫がいる。本名はAllah Wasai。パンジャビーの芸術家の家に生まれ、天性の声を持ち、容姿にも恵まれた彼女は6歳で映画に出演。ムンバイへ移住し、女優として、ダンサーとして、そして歌手として名声を得る。インドのプレイバックシンガーとして名高いラター・マンゲーシュカルと対を張るほどの人気であったが、印パ危機の際にパキスタンへと移り、美声とチャーミングな歌舞はインドから遠ざかることになった。
その太く甘い美声は聴衆の心髄を溶かす。数々の人生の苦難を乗り越えた彼女の歌には哀切と秘めた情熱が込められている。3月の発表会でヌール・ジャハンの曲で生徒を踊らせることにした。彼女達は「これが私のインドのイメージです。ずっとこういう曲で踊りたかったのでとても嬉しい!」と期待を膨らます。芸術は国境を越える。1982年、インドへ再訪したヌール・ジャハンは、インド国民から最高の賛辞を持って迎えられたという。

佐藤雅子/インド宮廷舞踊家。1995年渡印、インド人間国宝Pt.ビルジュ・マハラジ師に直接師事。師の許しを得て、2005年帰国。みやびカタックダンスアカデミーを設立し、2008年、東京都千代田区麹町に専用スタジオをオープン。古典のカタック・クラスの他、ボリウッド・カタック・クラスも併設中。

関連する記事

タグ: ,