国境にかけるスクリーン vol.11
1948年8月、1日違いで認められたセパレーション(印パ分離独立)によりインド領/パキスタン領共に排斥運動が発生。富豪アシュラーフ・アリー(アムリーシュ・プリー)の一家は暴徒から逃れ、パキスタン領へ向かう列車に飛び乗った。しかし、娘サキーナ(アミーシャー・パテール)だけが乗り遅れ、暴徒に襲われかけたところをスィク教徒のトラック運転手ターラー・スィン(サニー・デーオール)に助けられる。ふたりは恋に落ち結婚。だが、7年後、父親のラホール市長就任を知ったサキーナはパキスタンへと渡るが、家族から幽閉されてしまう。ターラーは息子を連れ、妻奪回のため国境を越え…。
印パ分離独立に見る悲劇と、そこから浮かび上がる慈愛
「Gadar(暴動)」/2001
依然、日本人が思い描くインド人と言えば、カレーとターバン。そのイメージはずばり、スィク教徒。陽氣で単純、底抜けに人好きな彼らはボリウッド映画でもしばしばおちょくられて示されるが、彼らの故郷パンジャーブ地方は分離独立により印パそれぞれのパンジャーブ州として分断され、1984年、インディラ・ガーンディーによるブルースター作戦を受け、ゴールデン・テンプルを血に染めた悲劇の過去を持つ。一方でパンジャビー文化は西洋化に走る現代ボリウッドの中でインドの故郷として描かれることが多いが(ボリウッドの映画人にパンジャーブ出身者が多いこともあるだろう)、スィクはヒンドゥー/ムサルマーン(イスラーム教徒)の狭間に立った微妙な存在でもある。
さて、本作ではインド(広義のインドとしてのバーラト)が分断された悲劇を、上流階級のムサルマーンと庶民のスィクになぞらえている。トラック運転手ターラー・スィンに扮するサニー・デーオールは、往年のスターである父親ダルメンドラがパンジャーブ出身とあって、実にふさわしいキャスティングだ。怪力無双にしてサキーナを密かに恋慕するシャイなキャラクターが絶品。印パの歴史的悲劇を真っ向から取り上げただけあって、インド映画史上ナンバル1のヒットを勝ち得た。
歴史的悲劇としては冒頭に、あの血塗られたアムリトサルの避難列車がこれでもかというほど克明に描かれている。アムリトサルはスィク教の総本山ゴールデン・テンプルがあることで知られるが、その寺院を神秘的なまでに美しく見せているのが「Rab Ne Bana Di Jodi(神は夫婦を創り賜う)」(2008)。主演のシャー・ルク・ハーンが額縁眼鏡の冴えないダサ男を演じて話題となったが、物静かな性格に隠された深い慈愛こそ、このゴールデン・テンプルから育まれたもの。
アムリトサルという地名を聞く時、肩を寄せ合ってそれまで生きてきた者同士が残虐な対立に走らざるをえなかった歴史と懐深い同胞愛について想いを馳せずにはいられない。
(ナマステ・ボリウッド発行人/すぎたカズト)
*「ハーン」は「Khan」のウルドゥー読みをカタカナに置き換えた表記。インド、並びにヒンディーでは「カーン」となる。例:「マイ・ネーム・イズ・ハーン」My Name is Khan(2010)。
初出「パーキスターン No.223 2009/5」(財) 日本・パキスタン協会