それでも心はボリウッド!#03「Khushboo」(1975)
それでも心はボリウッド!〜梵林心象風景
#03「Khushboo(芳香)」(1975)
監督:グルザール
村医者ブリンダバン*は、ある往診の折り、幼馴染みのクスムと再会する。家に戻った彼は、母親から彼女は彼の許婚(いいなずけ)であったこと、村の争いに巻き込まれて破談となったことを聞く。長じて町へ出た彼は一子もうけており、思いも寄らぬことであった。
一方、クスムは幼くして夫を取り決められた身。未だ嫁ぐことなく、兄と暮らしていた。
やがて、村に疫病が流行り、次々と人々が倒れてゆく中で、ふたりは互いに信頼を寄せてゆく。
男寡婦(おとこやもめ)のブリンダバンを若きジーテンドラが誠実に、切なくも愛らしいクスムをヘーマー・マーリニーが嫋(たお)やかに演じ、幕間悲劇の先妻としてシャルミラー・タゴールが顔を見せる。
ボリウッドというと歌あり踊りあり、アクションあってハッピーエンドの大衆娯楽映画で、芸術肌の映画とはおよそ縁のない印象が強いが、どうしてどうして、煌(きら)びやかなボリウッドのトップスター達が、少しも傲(おご)ることなく、しっとりと文芸調の作品をこまやかに演じる様は観ていて心地よい。
ブリンダバンは、身寄りをなくした不幸な女性を憐(あわ)れんで引き取り、妻に娶(めと)った男。クスムの身の上を知ると、ここでも彼は反故(ほご)にされた縁を取りなそうとする。
憐れみや同情は相手を見下すよくない事とされがちな現代日本の風潮とは異なり、同情は共感であり、愛を育む道筋とするインドとの違いに氣付かされる。
誠実であり続ける人物像はリアルさを欠くとして、アメリカナイズされた日本映画から消えて久しい。だが、混沌とした今の世にあって、まっすぐに生きるブリンダバンは実に新鮮ですらある。
クシュブー(芳香)は人を甘く酔わせるが、やがて薄らいでゆく。クシー(幸福)も移ろいやすく、その余韻は虚しさに染まる。季節は巡り、木々は花に色づき、芳香は再び漂う。
(初出:2007年8月 ナマステ・ボリウッド7号掲載改稿/KJR)
*ブリンダバン(=ヴリンダーヴァン)は、クリシュナ神にちなんだ聖地で、彼を慕った寡婦たちが暮らす町の名としても知られる。
*ジーテンドラは、トゥシャール・カプールの父。
*ヘーマー・マーリニーは、イーシャー・デーオールの母。
*シャルミラー・タゴールは、サイーフ・アリー・カーンの母。