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インド映画はお祭りがいっぱい(7)カルワーチョウト

2011.03.07

早稲田大学でボリウッド映画を題材にインド学を研究している高橋 明氏による「ナマステ・ボリウッド」連載コラム。毎回、映画に登場するインドのお祭りを月1でアップしてゆきます。コラムと連動したボリウッド講座@早稲田大学も企画しています。次回、開講をお楽しみに。

7章 夫婦の思い交々に  月のみぞ知る
/カルワーチョウト

(ナマステ・ボリウッド #21/2009,11月号)

ご存知ミモラ  心のままに」Hum Dil De Chuke Sanam(1999)は、ディワリ(秋の灯明祭)準備の華やぎから始まる。グジャラートの砂漠を家に向かって歩くアイシュが持つ紙製ランタン、家で造られている豪華なランゴーラ、砂漠の男女対抗ゲームは、諸地方諸地域に散在する習俗として、1年前の情報に追加していただくとよい。
この日イタリアからやって来てアイシュの父(古典声楽の大家)に入門を許され、その家に同居することになったサルマーンとアイシュが愛し合うようになるのも、両親がアレンジ婚を推し進めるのもお約束。ふたりの愛が深まり自覚され、父親に別れを強制される事件まで8ヶ月(台詞2箇所)。<冬>と<夏>が過ぎ、<雨期>が始まっている(凧揚げシーン!)。
アイシュの意に沿わぬ結婚式がカールティク(4ヵ月目)の満月の日、実質的初夜が3日に設定されている(満月が1〜2日ずれてもよい事、花嫁の家から花婿の家までの移動を要する事などで、ありうる事態)のが面白い。明日は朝が早いので、と初夜のベッドを拒否されるアジャイ
カールティク(10月)満月後の4日(チョウト)は妻が夫の長寿と健康を願って断食し、月が昇って雲に隠れることなく見えた時点で儀礼を行い、供物盆に載せたカルワー(小さな水椀)を夫から手渡されて水を飲み、断食を終えるというカルワーチョウト。朝は沐浴し、正装し、神々に祈り、食事儀礼を日の出前に終えなければならない。口実に嘘はない。
直後のミュージカルシーン、粉篩を月にかざし、それを透して夫の顔を見て祈る儀礼は映画では定型の宵の儀礼だ。ただしこのシーンの大半を占めるのは、悩み深くこれに参加するアイシュと対照的に、幸せに愛を確かめ合うアイシュとサルマーン。想い出ではなく**、完全な妄想である事を強調したい。アイシュの愛は死んでいない。後半もダレずに観よう。
高橋 明(早稲田大学文学学術院非常勤講師)

ディワリは新年を迎える大晦日である事を思い起こし、つまらないのに何故か無くならない「紅白…」なる習俗を考え合わせると、この男女対抗の習俗の面白さが解る。

**カルワーチョウトの10日後にやってくるディワリの日に出会った二人は100%これを経験していない。経験していない事は想い出にはできないのだ。

Hum Dil De Chuke Sanam

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