梵林浄歌(6)浄土を駆け抜けた歌姫〜ナーズィア・ハッサン

ナーズィア・ハッサン
ナマステ・ボリウッド初期に、隆盛するパキスターニー・ポップスをいち早く紹介して好評を博した村山和之氏(「旅の指さし会話帳(75)パキスタン・ウルドゥー語」情報センター出版局)による連載コラムを月1で復刻アップしてゆきます。乞うご期待!
ボリウッドへ越境するパキスターニー・ポップス6章
浄土を駆け抜けた歌姫〜ナーズィア・ハッサン
(初出:ナマステ・ボリウッド #08/2007年10月号)
ラターやムケーシュ、そしてヌールジャハーンといった大物プレイバックシンガーたちが牽引してきた、南アジアの大衆音楽の中で、1980年代は大きな転換点であったといえよう。フェーローズ・カーン監督・主演作「Qurbani(クルバーニー /捨身)」(1980)から聞こえてきたポップな音楽と初々しい歌声に、ボリウッド音楽ファンは戦慄を覚えた。挿入歌「aap jaisa koi(あなたのような誰かがいれば)」を愛くるしくうたったのは、在英パキスタン系の少女ナーズィア・ハッサン Nazia Hassan、この時まだ15歳であった。しかも、彼女は歌手の家系にも役者の家系にも属さない普通の女の子なのだ。
ナーズィアの衝撃は、プレイバックシンガーとしてのみならず、元祖ソロアイドル歌手のトップランナーとして活動を始めたことだ。翌年に発表したデビュー・アルバム(映画のサントラではない)は、南アジアのみならず中近東や南米でも爆発的ヒットを記録する。インド映画挿入歌は7作品で歌ったことになる。悲しいかな本国パキスタンでは、大衆の熱狂とは別の政治・宗教的な次元から、彼女のメディア登場はインドに1年余りの遅れをとった。しかもダンスシーンは、上半身しか映せない。弟のゾヘーブ Zoheb Hassanとその後終始デュオ・ユニットで活動したのも、パキスタンを本拠地に選んだ際の選択だった。
ナーズィアは、パキスタン音楽界の王道を歩み、35歳で昇天した。現在、両親が設立したナーズィア・ハッサン基金は、全ての人々の幸福に功績ある活動を支援している。生前から社会福祉活動に積極的に力を注いだ彼女の意志は、歌のメッセージとともにこの基金の中に生き続けているのだ。
song promo by Ultra.
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