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インド映画は お祭りがいっぱい(14)ヴァタ・サーヴィトリー

2011.10.31

早稲田大学でボリウッド映画を題材にインド学を研究している高橋 明氏による「ナマステ・ボリウッド」連載コラム。毎回、映画に登場するインドのお祭りを月1でアップしてゆきます。コラムと連動したボリウッド講座@早稲田大学も企画しています。次回、開講をお楽しみに。

14章 樹に宿る母神を縛る縁(えにし)の糸 ヴァタ・サーヴィトリー
(ナマステ・ボリウッド #28/2011,4月号)

「お仕えしたい至高の神様、それはだんな様。他の神様は要りません。ずっとずっとこの方の妻でいたい。生まれ変わっても契りが続きますように…貞女サーヴィトリーヤマ(死神)に向かいお願いし続けた事、その伝え知らぬ者はおりません。同じ奇跡が今ここでもう一度起こりますよう。私の夫をおたすけください。」
供物のシンドールティーカー(分け目飾り)の上からビンディヤー(分け目にまで粉紅を注す事)を施し、椰子の実を目に当て(自身の形代とする所作)供物を捧げるサラスヴァティー(ジャヤープラーダー)。事件に巻き込まれガンガー(アミターブ・バッチャンは瀕死の重傷、妻ジャムナー(ミーナークシー・シシャードリー)は行方不明、妻でもなくコーターの踊り子の彼女がガンガーの母に乞われ逡巡を払い、愛するガンガーのためヴァタ・サーヴィトリーの祭に加わるシーンだ。交渉カード1枚持たぬ貞女がヤマ神から夫を取り戻した神話に基づく祭は当然、既婚婦人だけが参加資格を持つ祭だ。ビンディヤーの意味は重い。
バニヤンの樹ヴァタvaTa を荘厳した布に糸を結び右回りに廻って巻き付けていくサラスヴァティー。女たちは木の周りを右旋し踊り続ける。「心広き神様…私には夫が全て」垂れ下がった根にすがるサラスヴァティー。彼女が捧げた灯明が揺らめき危うい。アーンチャル(サリーの裾)で庇う彼女。Devdas(デーヴダース)」(2002)の灯明の意味理解に参照すべし。
速度を増した踊りが激しい回転に変わり、ついに彼女が根方の祭壇に倒れ伏すと、ヴァタに宿る母神サーヴィトリーはお約束表現で験を表す。どういうお約束か、ぜひ「Gangaa Jamunaa Saraswathi(ガンガー・ジャムナー・サラスヴァティー)」(1989)をご覧いただきたい。
高橋 明(早稲田大学文学学術院非常勤講師)

ジエーシュタ(5〜6月)の満月の日に行われる。 映画では希少種。朝から断食もしているので激しい踊りはきつい!

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