インド映画は お祭りがいっぱい(12)ダシェーラー
早稲田大学でボリウッド映画を題材にインド学を研究している高橋 明氏による「ナマステ・ボリウッド」連載コラム。毎回、映画に登場するインドのお祭りを月1でアップしてゆきます。コラムと連動したボリウッド講座@早稲田大学も企画しています。次回、開講をお楽しみに。
12章 クライマックスは焼け落ちるラーヴァナ人形〜ダシェーラー
(ナマステ・ボリウッド #26/2010,12月号)
前回扱ったドゥルガー・プージャーなど、シヴァ派の人々がドゥルガーの偉業をたたえ祀っている間、ヴィシュヌ派の人々はラーマの偉業をたたえラーム・リーラー(ラーマ劇)を奉納し続ける。アシュヴィン(9~10月)の白月1~9日はどちらの場合も<九夜祭>と呼ばれ、北インドはお祭り一色、学校もholidayだ。「Kuch Kuch Hota Hai」何かが起きてる(1998)で子供がキャンプに行ったのもこの時期(キャンプでドゥルガーのプージャー*をしている)。「Delhi-6」デリー6(2009)に繰り返し現れる町内会のラーマ芝居もこれ、「Swades(祖国)」 (2004)のラストを盛り上げる村人たちのラーマ芝居もこれだ。
ランカーでの戦いは10日間続いた事に因み、この祝祭劇の頂点は10日目に。夜、広場にはラーヴァナと弟そして息子の巨大な張りぼて人形が据えられ、夜店も出てお祭り気分で待つ人々の前に、舞台で「ラーマーヤナ」を演じ終えたばかりの役者が駆けつけ、人形たちに火矢を放つ。ダシェーラーの祭には演劇と儀礼が直結した祝祭劇の原型が観られる。
仕掛けられた爆竹・花火もろともに轟音を放ち燃え上がる悪の象徴…この究極のカタルシスを見事ドラマに重ねたのが「Prem Granth(愛の書)」(1996)。地方の伝統秩序を統べる大寺院の跡取りリシ・カプールと祭礼巡りの水売り(オーム・プーリー)の娘マードゥリー。二人の愛を引き裂いた悪役二人を追い詰め、逆襲を父オームの機転で再逆転…全てはダシェーラーで賑わうリシの父(アヌパム・ケール)の寺院の前庭と境内でのこと。打ち据えられた悪役が人形に吊し上げられ、縛り付けられ、ラーマ役者から譲られたマードゥリーが仕掛けの火矢を放つ…<女を犯すものは皆こうなる>という宣言(呪い)が「ラーマーヤナ」のある挿話*を髣髴とさせる。
高橋 明(早稲田大学文学学術院非常勤講師)
*しかし歌は「ラグの主、ラグ族の王、ラーマ様…」、設定もサマー・キャンプで実際はシムラーでなくウーティーでロケ。
*ラーヴァナは犯した女から<女を犯したら死ぬ>と呪われて、シーターを犯すことができなかった。