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カタックを語る。#11

2011.08.29

http://miyabi-kathak.com/

Devdas(2002)でマードゥリー・ディクシトに振付を施したインド人間国宝Pt.ビルジュ・マハラジ師に直接師事したインド宮廷舞踊家、佐藤雅子女史みやびカタックダンスアカデミー主宰)による「ナマステ・ボリウッド」連載コラム。華麗な舞踊について月1でアップしてゆきます。

カタックを語る。
#11 哀愁のナーチ・ガール〜Mangal Pandey(2005)
(ナマステ・ボリウッド#13号/2008年6月号初出)

1696年、東インド会社がカルカッタ(現コルカタ)にウィリアム要塞を完成、1757年、プラッシーの戦いでイギリスが勝利し、イギリスのインド支配が本格化していく。衰退していくムガル王国を尻目に地位のある芸術家達が庇護を求めてアワドやラージプートの藩王国を目指した一方、上流貴族達と親交の無い芸術家達が目指したのがカルカッタといわれている。イギリス東インド会社の拠点となったベンガル地方には、多くの上級職イギリス人や将校が滞在し、外国人向けの娼館が多く作られていたからだ。相次ぐ戦争で身寄りを失った若い女性達の中で見目麗しいものは娼館に買われ、技芸をしこまれ、宵からの宴の華となる。
インドへ渡ったイギリス人にとって、今まで一度も見たことの無い不可思議なアジアの歌と踊りは、本国で紳士淑女達が舞う華麗なワルツとは全く違う異質なもの。上級職イギリス人が「あれは何か?」と尋ねると「あれはナーチです」という言葉が返ってきた。かくして彼女達は「ナーチ・ガール」と言われるようになっり、娼婦の地位に甘んじることになった。インド人が楽しいイメージで捉える「ナーチ」は、外国人にとっては故郷より遙かに距離を隔てたアジアで密やかな楽しみを提供する女性達であった。2005年のトップ3ヒットとなった映画「Mangal Pandey」(2005)でナーチ達の饗宴の模様を垣間見ることが出来る。ラーニー・ムカルジーが舞うmain vari variだ。ダンスには難しい技は一切取り入れられておらず、踊り手のチャーミングさで魅せる振り付けである。詩も難しくなく、外国人にはわかりやすいといえよう。

佐藤雅子/インド宮廷舞踊家。1995年渡印、インド人間国宝Pt.ビルジュ・マハラジ師に直接師事。師の許しを得て、2005年帰国。みやびカタックダンスアカデミーを設立し、2008年、東京都千代田区麹町に専用スタジオをオープン。古典のカタック・クラスの他、ボリウッド・カタック・クラスも併設中。

 

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