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Aman Ki Asha… 印パ、和平への希望

2011.08.01

東日本大震災発生当初、世界中のメディアは日本で災害が引き金となった略奪や暴動が起きなかったことに感嘆したが、それは日本人が和を尊ぶ精神であることよりも、まず国内に深刻な民族・宗教・人種間の闘争問題を抱えていなかったことが大きい。

何より恐ろしいのは、平穏な日常が裂かれた時に噴出する人間の(不安不満から発する)敵意の衝突だろう。我が国でも関東大震災では哀しい虐殺の歴史を持つが、思い起こされるのは、インド/パキスタンセパレーション(分離独立)を巡って、それまで長い間、よき友人として共生して来たヒンドゥー/ムサルマーン(イスラーム)が英国の置き土産となる分割統治によりコミュナル(政治的に煽動された宗教間)の対立が激化。血で血を洗う殺戮が北インドの各地で発生。その憎しみは今も政治的な影を落とし、インド/パキスタンの国家間では熾烈な対立が続き、90年代末に起きたカシミールのカールギル戦争(日本では「紛争」とされるが英語ではWarを用いる)の際、実に核戦争の秒読み寸前にまで達した。

この危機によりカシミールを舞台とした戦争愛国映画、嫌パ感情を煽るテロ映画がボリウッドでも続々と作られたが、2004年に入り、現パキスタン・ラーホール出身のヤシュ・チョープラー監督が「Veer Zaara(ヴィールとザーラー)」を、シャー・ルク・カーンは自ら製作・主演でMain Hoon Na(私がいるから)」などを放ち、一転、印パ友好ムードに湧いた。

しかし、2008年11月に起きたムンバイー同時多発テロが起きるや国民感情としては嫌テロ感情に走るも、国家レベルでは再び緊張が増幅。そんな流れの中、2010年に民間レベルでは印パを歩み寄らせようとする「Aman Ki Asha(平穏への希望)」が、インドの「Times of India」紙とパキスタン・カラチで英語紙「Daily News」やウルドゥー紙「Daily Awam」などを発行するジャング・グループにより国境を越えた共同プロジェクトとして発足。ボリウッドのトップ・シンガー、シャンカル・マハーデヴァンマイ・ネーム・イズ・ハーンなどの音楽監督トリオ、シャンカル-イフサーン-ローイのリーダー)とラーハト・ファテー・アリー・ハーン(パキスタン音楽の巨星・故ヌスラット・ファテー・アリー・ハーンの後継者でボリウッドでも多数フィーチャル)がテーマソングに起用されている。

もちろん、映画においても印パの国境を越えた交流は進んでいる。ボリウッドのバイプレーヤーとしてパキスタンの俳優ジャーヴェード・シャイクが活躍、ヤシュ・ラージ・フィルムズ(YRF)「Kabul Express」(2007)やIshqiya(色欲)」(2010)にサルマーン・シャーヒドが出演。アジアフォーカス・福岡国際映画祭で観客賞を受賞したパキスタン映画「Khuda Kay Liye」神に誓って(2007)にナッスィールッディン・シャーが重要な配役を受け、パキスタン映画Ramchand Pakistani(パキスタン人ラームチャンド)」(2008)にナンディーター・ダースが主演しているばかりか、パキスタンの俊英シンガー、アリー・ザファルがカラチを舞台に米パを笑い飛ばしたトンデモ・コメディTere Bin Laden(ビン・ラーデンなしでは)」(2010)でボリウッド・デビューを果たし、次回作はYRF「Mere Brother Ki Dulhan(私の兄の嫁)」(2011)ではカトリーナー・ケイフと共演! さらに米ワーナーが配給し、ヒューストン国際映画祭で作品賞を受賞したLahore(2010)では、運命の地ラーホールにてキック・ボクシングによる印パ対決を描く。トレーナーを好演したファルーク・シャイクがインド政府よりNational Film Awards 助演男優賞を獲得。

このような流れは今後も強まってゆくことだろう。最早、これはアーシャー(希望)ではなくアーサール(兆し)なのだ。                              (すぎたカズト/初出 Namaste Bollywood #28 2011.4月号改稿)

That's Bollywood 2000's.

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