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インド映画は お祭りがいっぱい(10)ジャナム・アシュタミー

2011.07.04

早稲田大学でボリウッド映画を題材にインド学を研究している高橋 明氏による「ナマステ・ボリウッド」連載コラム。毎回、映画に登場するインドのお祭りを月1でアップしてゆきます。コラムと連動したボリウッド講座@早稲田大学も企画しています。次回、開講をお楽しみに。

10章 ゲームはクリシュナの誕生日から始まった―ジャナム・アシュタミー
(ナマステ・ボリウッド #24/2010,7月号)

Aankhen(眼)」(2002)は夏の狂気がクリシュナの奸智をも嘲うたくらみを得て、ディワリ中日ラクシュミー・プージャーの一日に演じたゲームの、ツイストの果てを描く。酷熱の5月、生涯を賭した銀行から重役を解任されたアミターブ。解任理由そのまま、彼は怒りを抑える気など毛頭なく復讐の銀行強盗を計画する。しかし自分が設計した警備システムを攻め倦むまま夏は過ぎ、雨季の2ヶ月も過ぎようとしていた。妙案は末世の黒き神クリシュナの誕生日、町をさまよう彼に偶然?もたらされる。盲学校の校庭でスシュミター先生指導の下、盲人の生徒たちが人間ピラミッドを組んで空中高くつるした壷を割り中の供物をいただく儀礼を行っている。訓練された盲人の力を知った彼は、健常者をよそおった盲人に強盗させ、システムを嘲いしかも捕まる事のない完全犯罪を思いついたのだ。
バドンの黒月8日(8月末の欠けていく半月の日)はクリシュナの誕生日、クリシュナ・ジャナム・アシュタミー。ヴィシュヌ神の8番目の化身、悲運の夫婦の8番目の子供は伯父を殺す運命を背負って黒月8日に生まれた。誕生日にふさわしく、揺り籠に乗せた神像を揺らして供物を捧げるバクティ(信愛)派の儀礼もあるが、映画で目立つのはこのダヒ・ハンディだ。4・5歳のクリシュナが好物のバターをたらふく食べようと、年上の子供たちを指揮して人櫓を組んで高くつるされた壷を取ったという故事によっている。そのため、ホーリーに行う者もあるので要注意だが。
冷徹なゲームをもくろむアミターブと弟を人質に巻き込まれたスシュミターと駆集められた3人の盲人(パレーシュアッキーアルジュン)の危ないkhel(ゲーム)の結末は?!じっくり観ていただきたい映画だ。
高橋 明(早稲田大学文学学術院非常勤講師)

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お金の神様ラクシュミーを祭る、帳簿開きの日なので、現実にもこの日プージャーを行う銀行は多い。すでに首になっているアミターブがこの日だけ銀行に顔を出せることになっているのはこの特殊事情で合理化されている。
彼には仕事もゲーム(日本語のゲーム・遊びではなく、game = khel 命、名誉、大金をかけた勝負事)であり、だからこそ一生打ち込めた、ということだろう。
単なる性格のゆがみではないことが彼の役名でわかる。Vijay(勝利) Singh Rajput ! 普通のパーソナルネーム+ファミリーネームにさらに家名より上位のアイデンティティーを示すラージプットなるカースト名が加えられている。中央権力の法など何するものぞと自分たちの伝統を守ったその王族カーストの権利・義務を引き受け、スヴァダルマ(自らに課す正しい生き方)とする誇りを表している。自分の行動原理に絶対の誇りを持っているという面では、アミターブは<あまりに正常なラージプット>といえる。こうした細かい設定にも様々な仕掛けが施されているところがボリウッド映画の奥深さ。
Dahi haMDi ヨーグルト入りの壷の意味。ヨーグルト、牛乳、蜂蜜、バター、果物などが入れられている。

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