国境にかけるスクリーン vol.12
1947年、分離独立当時。インド/パーキスターンの国境にほど近い寒村マヌーマジュラーに、デリーから自称ソーシャルワーカーのイクバールがやってくる。宿屋もない小さな村のこと、スィク寺院グルドワーラーに寄宿した彼は、間もなく同宿していた盗賊ジャガットと共に逮捕される。時局は厳しくなり、この静かな村にも死体を山積みにした避難列車が到着。スィクもムサルマーン(イスラーム教徒)も共に暮らしていた平穏な日々が破られ、ムサルマーンの村人たちはパーキスターン行きの列車へ乗せられ旅立つ。途中、殺戮が行われ、皆殺しになることが解っていても…。
暗雲に向かい、試練を乗せたパキスタン行きの列車
「Train to Pakistan」/1998
英国映画「スラムドッグ$ミリオネア」がボリウッド映画人のサポートによって制作されたように、本作も英チャンネル4とインド映画開発公社による合作映画であり、原作は現パーキスターン・パンジャーブ州出身となるインド人作家フシュワント・スィン(1990年執筆の「首都デリー」が翻訳されている)がパーテーション(分離独立)の記憶も生々しい1956年に書いた同名の英語小説である。これをヒンディー語で映画化しているが、英語タイトルの後にはアラビア文字のみ示される。劇中に登場するスィク寺院にはグルムキー文字が見られ、駅舎や留置場にはアラビア文字が用いられている。
政局からも遠く、ヒンドゥーとムサルマーンが殺し合ったカルカッタの悲劇とも無縁なこの村。スィクの地主とムサルマーンの農民が共存していた。どのように共存していたかというと、副行政官として赴任したスィクの老人は娘(実際は孫)と同年代であるムサルマーンの踊り子と夜を共にし、盗賊青年ジャガットはムサルマーンの娘と深い恋仲にあった。村人たちも<国>を求めて移動する<難民>の存在を知りながら、わりかしのんびりと暮らしていたのであった。
そんなマヌーマジュラー村に下り立ったのが、ソーシャルワーカーの<イクバール>。「抑圧された難民を助けたい」と言う一方、デリーに情勢を電信するインド共産党員で、不穏者として逮捕された際、スィクであると主張するが割礼が確かめられ、後にパーキスターン・ムスリム連盟と疑いをもたれる。<イクバール>とだけ名乗るこの男は、スィクなのか、ムサルマーンなのか? 揺れる村に衝撃が走るのは、死体を満載にした避難列車が到着してから。軍隊がやって来て村人から薪と灯油を徴収し、死体の山を焼却し、また違う場面では、まとめて土葬する。分断された村人たちは列車に乗せられる。インドへ向かう列車ではヒンドゥーが、パーキスターンへ向かう列車ではムサルマーンが皆殺しにされるこの列車、<新天地への試練(訓練=Train)>の代償は計り知れない。
(ナマステ・ボリウッド発行人/すぎたカズト)
初出「パーキスターン No.224 2009/7」(財) 日本・パキスタン協会