アッチャー・ソングス
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ソーヌー・ニガム
カヴィタ・クリシュナムールティー
aarti
ラヴィンドラ・サテー
apni maa
シャンカル・マハーデヴァン
apni to nikal padi
クマール・サーヌー
アトゥール・カーレー
har taraf hai ye shor
ヴィノード・ラトード
アチュール・カーレー
jawani se ab jung
プレータ・マズンダール
tere pyar ne
カヴィタ・クリシュナムールティー
クマール・サーヌー |
Vaastav(現実)/1999
01.10.19 ★★★★
製作:ディーパック/原案・脚本・監督:マヘーシュ・マンジルカル/撮影:ヴィジャイ・アローラ/音楽:ジャティン-ラリト/詞:サミール/背景音楽:サンディープ・チョウタ/アクション:ラーム・シェッティー
出演:サンジャイ・ダット、ナムラター・シロードカル、モーニシュ・ベーフル、エクタ・ベーフル、リーマ・ラグー、シヴァジー・サータム、モーハン・ジョーシー、アーシーシュ・ヴィダヤールティー、パレーシュ・ラーワル、ヒマーニ・シヴプリー、ディーパック・ティージョリー、ガネッシュ・ヤーダウ
特別出演:カシュミラ・シャー
FILM FARE AWARDS:主演男優賞(サンジャイ・ダット)
SCREEN VIDEOCON AWARDS:主演男優賞(サンジャイ・ダット)
STORY
ローアーミドルクラスが集まったダウンタウンの集合住宅に住むラグー(サンジャイ)は父親(シヴァジー)に頼んで、屋台のダーバーを始める。しかし、暴力組織パンダヤー・ファミリーのゴロツキとトラブり、彼らを殺してしまう。警察の追手から逃れたラグーたちは、パンダヤー・ファミリーと対立する地元のボス、ヴィタール・カンヤー(アーシーシュ)とスルマーン(パレーシュ)を通じた示談の席でパンダヤーの兄貴分を射殺。一気に闇の世界へ転落してゆく。そんな彼を手駒に選んだのが、汚職大臣カダム(モーハン)だった。ラグーは娼婦ソニア(ナムラター)と所帯を持つが、次第にコカインと暴力に歯止めが効かなくなって・・・。
Revie-U *結末に触れています。
サンジャイ・ダットが、登場シーンでいきなり父親から耳をつね上げられる。これは、第1幕が少年時代の設定だからである。「カランとアルジュン」Karan
Arjun(1994)のシャー・ルーク・カーン&サルマーン・カーン然り。しかし、40歳のサンジューが年齢不詳のティーンエージャーを演じても、ストーリーに没頭してしまうとそれが気にならない。むしろ、少年時代の彼を見るようで、その芝居に感心してしまう。
このサンジューの少年という設定を違和感持たせないようにするためか、モーニシュ・ベーフル扮する兄ヴィジャイが同じ集合住宅に住むプージャ(エクタ・ベーフル)と恋仲になっている。兄は女の子が気になる年頃だが、弟のラグーはまだ悪ガキの世代なのである(この結婚は当初、プージャの父親がカーストの違いから反対する)。
父親は、シヴァジー・サータム。本作の亜流「Baaghi(反逆者)」(2000)では、サンジューと対立する隣家の父親を演じている。母親は、お馴染みのリーマ・ラグー(今回はRimaとクレディットされている)。
悪戯ばかりしては叱られている少年ラグーが、真面目に商売するから、と仲間と始めたのが屋台のダーバー。店の開店に合わせて野郎だけのミュージカルになるのだが、スパイスを潰す音、鉄板焼きのコテの金属音などS.E.だけのイントロは、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000=デンマーク)の工場ミュージカル・ナンバー「cvalda」よりひと足早い。
この屋台は成功し、ラグーたち、同じ集合住宅に住む悪ガキ連中は家族に認められる。父親も「かなり稼いだな」と、もう彼を子供扱いできないことを知る。この悪ガキ仲間で印象強いのが、ラグーの親友で弟分(サンジャイ・ナルヴェーカル)。彼のエピソードも泣かせる。
母は再婚していて、呑んだくれの義父と口喧嘩が絶えない。気の短いサンジャイは一度、罵詈雑言を吐く養父に平手打ちを喰らわすが、逆に母親から激しく怒られる。「いくら呑んだくれで、血の繋がっていないとは言え、卑しくも父親を殴るとは何だ!」というわけだ。さすがのサンジャイもシュンとしてしまう。長屋然とした集合住宅チャウルでの話だから、このバツの悪いところもしっかり仲間に見られている。けれど、彼らはそれでサンジャイをからかったり、イジメたりはしない。皆どの家も似たような境遇だからだ。こういう地域に根差した共同体意識は、かつては日本でも珍しくなかったのだが今は絶えて久しい。
そのサンジャイが屋台で稼いだ金を持って家に帰って来る。家では呑んだくれの義父が例によって酒を買う金をせびっている。母親はやりくりしながらの料理で忙しい。そこへサンジャイが「これで、ファースト・クラスの晩飯を作ってくれよ」と母親に稼いだ金を渡し、義父にも小遣いを渡すのだ。
そんなサンジャイがキー・パーソンとなって、ラグーの人生を狂わせてしまう。深夜営業中、酔客と彼がトラブルを起こす。相手は、パンダヤー・ファミリーのゴロツキだ。この時はラグーが間に入って、平謝り事無きを得る。サンジャイ・ダット主演作だからゴロツキどもを一発でのしてしまいそうに思えるが、そうならないのは彼はまだ少年で、社会的階層も低い設定だからである。
再びゴロツキが現れ、名指しでサンジャイを呼び出しては小突き回し、遂に気の短い彼はゴロツキに飛びかかる。呆然となって見守っていたラグーもゴロツキが拳銃を取り出すに及び、屋台の鉄板で彼らを殴り殺してしまう。こうして、ラグーとサンジャイは人殺しとなる。
裏路地に逃げ込み怯えるふたりに彼らの家族が駆けつけ、母親は警察へ行くように主張するが、同じ集合住宅に住むキシャーン(ディーパック・ティージョリー)が、警察に行けばもっと厄介なことになる、と、この件で地元のボスに助けを乞う。これがアーシーシュ・ヴィダヤールティー扮するヴィタール・カンヤー。今回は片目で、眉間に金色のイボがあるメイク。けれん味たっぷりの芝居を見せ、その上、前半のうちに敵対組織から射殺されてしまう、という観客へサービス満点のキャラクターだ。
パンダヤーに仲介するのが、地域の代表であるスルマーン(パレーシュ・ラーワル)。質素な一人暮らしをするムスリムなのだが、それだけにどこか謎めいている存在。男気を感じさせる死に様をラストで見せる。
このバイプレーヤー二人でも十分癖があるが、これにモーハン・ジョーシー扮する悪徳大臣カダムが加わる。 パンダヤーの兄貴分を殺しアンダーワールドで名を成したラグーに目を付け、汚れた仕事を処理させようというマハーラーシュトラ州政府の大臣。本来、彼はローアー・ミドル・クラスのために集合住宅や失業対策に腐心しなければならないが、その立場を利用し私腹を肥やしている。このカダムの庇護下に入ることで、ラグーたちは咎めなくシャバで暮らし続けられるようになる。
ヒロイン、ナムラター・シロードカルが登場するのは中盤。役どころは赤線の娼婦ソニア。サンジャイに馴染みの娼館へ連れられて行ったラグーが、見初めるのが彼女。元ミス・インドのナムラターが娼婦とは驚きだ。ソニアの衣装は役柄から派手だが、アクセサリーなど安っぽいのがよい。実はラグーは娼館通いが初めてで(拳銃を持った童貞!)、この時はその気になれず金を置いて帰ってしまう。逆にその純情さがソニアの心を打つ。ちなみに、サンジャイは馴染みの娼婦に「私のシャー・ルーク・カーン!」と呼ばせているのが笑える。
結局、ラグーはその娼館を足繁く通い、やがてソニアはわざと彼の子を妊る。それを知ったラグーは怒って帰るのだが、普通なら「客の子を宿すとは!」と更に激怒しそうな娼館の女将が彼女の想いを知って慰める。この女将が、ヒマーニ・シヴプリ。「コイラ」Koyla(1997)でも同じ役どころだったが、映画のトーンの違いからか、こちらの方が艶があるし、ふてぶてしい。酔って舞い戻ったラグーを彼女が叱り飛ばすのだが、この時、ラグーはソニアを父母に合わせ、家庭を持つことを誓う。まわりの娼婦たちが涙ぐむ。売り飛ばされた娼婦たちの哀しい夢だ。
本作のタイトルは「Vaastav(現実)」。わざわざ「The
Reality」と英語のサブタイトルが付けられている。
では、これがリアリティを狙った映画だろうか? 悪徳大臣が裏で暴力行為を指示している現実。いかにもありそうだ。ギャングスターが娼婦と恋に落ち、すんなり祝福されて家庭を持つ。これが現実? 筋肉隆々のサンジューが、そのまま少年時代を演じてしまう。これがリアリティ?? ソフィースティケートされた欧米的映画観からすれば、古臭いフィクションにしか思えない。現代日本人の目からすれば、幻想もいいところだろう。
だが、インド人の言うリアリティと他の民族が言うそれとは、大きくかけ離れているのではないだろうか。インド人の世界観はむしろ、マーヤー、つまりイリュージョンに根差している。それ故、現実を描くのに我々の目から見れば幻想のように映る手法を使い、マーヤーを通してワースタウ(現実)を見詰めるのだろう。
こんないじらしい(?)シーンがある。通常、ボリウッド映画ではミュージカル・シーンは、いきなり海外へ飛ぶ。想いの世界を描く借景ロケだ。だが、本作ではカダムが「新婚旅行はまだなんだろ? スイスへ行って来な」と金とチケットをラグーに渡す。これで、ハネムーンのミュージカル・ナンバー「meri
dunya he」となる。リアリティと言えばリアリティに根差しているが、インド人観客にとっては間怠るこしい説明的なシーンだろう。そんな手順など要らずに、いつものように想いの世界へ飛べばそれでよいのに。
ジャティン-ラリトの手によるこのナンバー、クマール・サーヌーとカヴィタ・クリシュナムールティーのデュエットが耳に心地よいことこの上ない。美しく爽やかなメロディーは本編トーンを忘れさせるほどで、ややハードなストーリーから一息つく効果も兼ねている(蛇足だが、スイスの借景ロケはもうボリウッドの定番で、そのうちスイス名物としてインド映画のロケ隊が観光ガイドに載るのでは? 蛇足ついでになるが、筆者はMTVで繰り返し聞いてるうちにこのメロディーが焼き付いてしまい、通りでこの曲を流していたカセットショップに出会しさっそく所望した。スイスではないが)。
カダムのトラブルを処理し続けるラグーは、「仕事」の最中、書類を操作して儲けるだけのホワイトカラーへの鬱積した怒りから殺しをしてしまう。カダムは手に余るようになったラグーを売ることに決める。昔、彼らを逃がしたキシャーンは警官になっていて、彼らに逃げるよう告げるのだが、サンジャイは警察によって殺される。
さて、ラグーの死に様は? 観客は、すでにオープニング・ショットにおいて、人々がジョギングするビーチの片隅でラグーの家族が葬儀を済ませたところを見ており、最初からサンジューが死ぬことを知らされている。警察の追跡は激しくなり、壮絶なラグーの死に様が予想されるわけだ。
彼は家族のために買った家へ逃げ込む。だが、コカインのためからか、ラグーは屋台でゴロツキを殺してしまった時のように怯えきり、家族やソニアを戸惑わせる。しばらくして落ち着き払うと、彼らを寝かせ、母親と庭に出る。ここでラグーは懇願し、母親に拳銃を渡すのだ。この狂った人生に終焉をつけてくれ、と。母親の名前シャンタが、シャンティ(平穏)に由来するであろうことが気にかかるエンディングであった。
監督のマヘーシュ・マンジルカルは本作でデビュー。その後もアンダーワールドを描き続け、裏社会とのつながりが噂されているが、下層社会に暮す人々への温かい眼差しと演出力には好感が持てる。すべてに触れられないが、チャウルに住む人々の連帯感を示すエピソードもよく出来ている。
今尚、爆弾テロ容疑の審議が尾を引いているサンジューが奇跡の復活を果たし、ミス・インディア1993、ミス・ユニヴァース・コンテスト出場という華々しいキャリアを持ちながら映画界入りして低迷していたナムラターをスターダムに押し上げたのも本作。このトリオで新作が準備されており、そちらにも期待したい。
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