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| ひんでぃーマサラこれくしょん<S> オススメ度 ★=最低 ★★=退屈 ★★★=平均点 ★★★★=面白い! ★★★★★=お気に入り!! |
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ye dosti (happy) キショーレー・クマール マナ・デイ mehbooba mehbooba ラーフル・デーウ・バルマン haan jab tak hai jaan ラター・マンゲーシュカル koi haseena キショーレー・クマール holi ke din キショーレー・クマール ラター・マンゲーシュカル yeh dosti hum nahin (sad) キショーレー・クマール thema of sholay インストルメンタル |
「炎」Sholay
/1975 01.03.14
UP/01.09.23 Re ★★★★★ 製作:G・P・シッピー/監督:ラーメーシュ・シッピー/脚本:サリーム-ジャヴェード(サリーム・カーン&ジャヴェード・アクタール)/撮影:ドゥワールカー・ディヴェーチャ/詞:アナン・バクシー/音楽:R・D・バルマン 出演:アミター・バッチャン、ダルメーンドル、サンジーウ・クマール、ヘーマ・マーリニー、ジャーヤー・バードゥリー、アムジャド・カーン ゲスト:アスラニー、ヘレン、ジャグディープ 公開日:8月15日 STORY 流れ者の泥棒ジャイ(アミター)とヴィールー(ダルメーンドル)は、かつて護送中に盗賊ダコイトに襲われ命を助けた元警部のタークル(サンジーウ)に雇われて、ある田舎の村をガッバル・シン(アムジャド)率いるダコイトから守ることを請け負う。が、ヴィールーは馬車引き娘のバサンティ(ヘーマ)に、ジャイは未亡人ラダ(ジャーヤー)に恋してしまう・・・。 Revie-U *結末に触れています。 インド映画史上空前絶後の大ヒット作「炎」!!!! 8年間のロングランに加え、今もってインドのどこかで上映&放映されているという伝説の映画である。ストーリーはご覧の通り「荒野の七人」(1960=米)の戴きで、当時クレディットが4番目だったアミター・バッチャンが爆発的人気を呼び、スーパースターの地位を決定づけた。マルチスター・システム(オール・スター・キャスト)の先駆けとなった作品だけに、サニー&ボビー・デーオル兄弟の父ダルメーンドル、アビシェークの母つまりバッチャン夫人のジャーヤー・バードゥリー、ダルメーンドルの愛人にしてイーシャ・デーオルの母ヘーマ・マーリニー、往年の人気俳優サンジーウ・クマールと一世代前のスターがズラリ共演!!!! 冒頭、無人の駅へ機関車が入って来るにつれクレーンダウンするファーストショットからして、傑作の臭いが漂う。R・D・バルマンのリリカルなメインテーマに乗って進むオープニング・タイトルバックで、列車から降りた警部が案内人に連れられて荒地、荒地の村を抜けて、岩山に囲まれたタークルの村へ辿り着く。ショールに身を包んだ元警部の初老メイクのタークルからジャイとヴィールーという2人の男を探し出すよう頼まれる。「その男たちはいかなる者か?」と問われるや、ここでタークルの回想となり、インドの赤茶けた大地を走る列車をダコイトが襲う掴みのオープニング・アクションとなる。サボテン越しのアングルもあって、まさしくテイストは、チャパティ(カリー)・ウェスタン!!!! タークルはジャイとヴィールーを護送中で、二人は手錠を外せと要求。タークルは銃弾を放って鎖を撃ち切る。切り通しを走り抜ける列車にダコイトが飛び乗るなど、息もつかせぬアクションが展開するのだが、今回観返してみると、サニー・デーオルの「Gadar(暴動)」(2001)がクライマックスでそっくり復刻していたことに気付く。 回想の終盤、タークルは胸を撃たれるが、ジャイとヴィールーが彼を見捨てずに病院へ運んだことから、「ワルだが信用できる」と踏んだことが示される。 一方、ジャイとヴィールーは負傷したタークルを病院へ運んだものの、医者のサイドカーを盗み出して逃亡。ハーモニカを吹くヴィールーをジャイが肩車でサイドカーを走らせる(!)名シーン、「yeh dosti(これが友情)」のミュージカル・ナンバーとなる。1970年代らしいのびのびとした楽曲で、アンプラグドでカヴァーするとカッコイイと思う。画面いっぱいに友情を謳い上げるダルメーンドルとアミター・ジーの姿を見ていると、「なぜマニー・ラトナムはミュージカル抜きの映画を作りたがるのか? なぜ歌と踊りがふんだんにあるインド映画の手法を胸張れないのか?」と疑問に思ってしまう。 この後、彼らが貸しのあるソールマ(ジャグディープ)と、ヒトラーを吉本級のコテコテにパロった刑務所所長(アスラニー)らが絡まる投獄、脱獄、出所の短いエピソードがスピーディーに重なる。 出所したところをタークルが待ちかまえていて、ジャイとヴィールーは彼の申し出に乗るのだが、村の最寄り駅で出迎えた馬車引き娘のバサンティに、さっそくヴィールーが恋してしまう。 ダルメーンドルは、息子のサニー・デーオルより愛嬌があって、コミカルなラブ・ロマンスもよく似合う。既婚ながら、スクリーンの裏でもヘーマ・マーリニーと「名コンビ」であった。愛する二人がスクリーンでも息の合った掛け合いを見せるのは、大変微笑ましい。 ヘーマ・マーリニーの、おしゃべりが止まらない素朴で陽気な田舎娘のキャラクターは、25年の時を経てムンバイーを舞台にした「One 2 Ka 4(1、2の4)」(2001)においてジュヒー・チャーウラー扮するギータに継承されている。 タークルの屋敷に招かれたジャイとヴィールーは、その晩のうちに金庫の金を戴いてトンズラを試みる。しかし、金庫を開けるのに苦労していると、タークルの義娘で未亡人のラダが金庫の鍵を投げて寄越す。こう堂々とされては敵わん、と二人は居残ることにするのだが、今度はジャイがラダに惚れてしまう! 「アメリカの夜」(1973=仏・伊)式夕暮れ、母屋のランプを消して歩くラダが、離れから流れるジャイのハーモニカに耳を傾ける。この時、ラダの心には仄かな恋心が灯るのだ。 アミター・ジーとジャーヤーはすでに結婚しており、劇中のヒーロー・ヒロイン2組が実生活でもカップルということになる。「怒れる若者」像でブレイクしたアミター・ジーは、本作でもどこか醒めた部分があり、未亡人という立場からラダも素直に恋に走れない。このような恋愛関係は、ヤーシュ・チョープラが監督した「黒いダイヤ」Kaaka Patthar(1979)でも心に負債を持つ勇者とラーキー扮する女医の関係にも踏襲されている。 ところで、盗賊からの防備と言っても実にのんびりしたもので、ジャイなど日長一日寝そべっているだけだ。このレイドバックした感じが実に佳い。が、中盤「荒野の七人」よろしく、盗賊の手下3人が村に現れる。この時は、ジャイとヴィールーの登場に渋々引き下がるわけだ。 手下どもがアジトへ戻りようやく、盗賊の首領ガッバル・シンの登場となる。寝そべっているだけでも怖いアムジャド・カーンは本作がデビューとなるが、後世に語り継がれる一大悪役となった。彼の台詞を集めたカセットテープが発売され、これも大人気を博したほどで、同じくG・P・シッピー製作の「ラジュー出世する」Raju Ban Gaya Gentleman(1992)でもボンベイの下町シーンでいきなり、この台詞を吐く「ボス」が登場し、初めて接した日本人観客の意表を突いたっけ。ゴーヴィンダ主演「Joru Ka Ghulam(情熱の奴隷)」(2000)でも、彼らを追うドジなドラッグ・ディーラーのボス、アーシーシュ・ヴィダヤールティーがガッバル・シンを敬愛していた。 アムジャド扮するガッバル・シンは、不始末をした手下も容赦なく殺してしまう(ルシアン・ルーレットは、78年の「ディアハンター」より早い!)。「荒野の七人」を下敷きにした全体のトーンに比べると、狂気を孕んだガッバル・シンのキャラクターは、マカロニ(スパゲッティ)・ウェスタンの傑作「夕陽のガンマン」(1971=米)の山賊インディオ(ジャン・マリア・ボロンテ)を意識したもので、当時では革新的な悪役像であったに違いない。しかし、思うにアムジャドが人々の記憶に焼き付いたのは、これ見よがしな残忍さにあるのではなく、彼が見せる悲痛な表情が痛々しさを通り越して異様に思え脳裏にこびりつくほどだったからだろう。 盗賊の手下を追い返したタークルの村は、ホーリー祭に浮かれ、ミュージカル・ナンバー「holi ke din」となる。喜びの頂点で、ガッバル自らの奇襲を仕掛ける。この適度な緩→動→緩の連続が、3時間20分の長さを感じさせない構成となっている。 この奇襲でジャイとヴィールーは窮地に陥り、その間、タークルは突っ立って見ているだけで何ら手を貸そうとはしない。ガッバルを追い返した二人は、タークルの態度に村の防衛から手を引くと言い出す。タークルは自分とガッバルの戦いについて語り、回想となる。 一度はガッバルを追い詰め、逮捕したタークルにガッバルは復讐を宣言。早々と刑務所を脱走し、まだタークルが町にいる間に彼の家族を皆殺しにする。このシーンはインド映画史上例を見ない虐殺シーンだったとのことで、今観ても渇いた空気に満ちたモンタージュが印象的だ。殺戮の後、ブランコがひたすら揺れるS.E.がガッバルの狂気を表し、彼は幼い少年まで撃ち殺してしまう。 タークルが村に戻ってみると、ただ一人外出していたために助かったラダが喪服のサーリーを着ている。それを見たタークルは両手の荷物をドサッと落とすのだが、実はこれが彼の運命を暗示していた。怒りに任せてガッバルのアジトへ乗り込んだタークルは逆に捕まり、なんと両腕を斬り落とされてしまう! 長刀が振り落とされる瞬間、回想を語るタークルへと画面は戻り、風にショールが吹きはらわれる。両袖が空を舞うモンタージュは、血しぶきが飛ぶよりインパクトがある。 ジャイとヴィールーは金で動くことをやめ、酒宴に興じるガッバルのアジトに忍び寄り弾薬を仕掛ける。ゲスト・ダンサーのヘレンが踊るミュージカル・ナンバー「mehbooba mehbooba」となる。この曲はまさにロックだ。ところで酒宴に乗じて弾薬を仕掛けてまわるシーンは、ラーケーシュ・ローシャンの「カランとアルジュン」Karan Arjun(1994)でもそっくりコピーされていた。 バサンティが手下ども拉致され、クライマックスへと突入するが、馬車と手下どものホース・チェイスも迫力満点だ。アジトへ単身乗り込んだヴィールーは、タークル同様に捕まってしまう。炎天下、バサンティが愛する男を少しでも生き永らえそうと灼熱の大地で踊るのが痛々しい。ラーケーシュはよほど本作が好きなのか、「コイラ」Koyla(1997)でもマードゥリー・ディクシトに同様のシーンを用意している。本作では、更に盗賊たちがバサンティの足下に酒瓶を投げ、彼女はガラス片に血を流しながらも踊り続ける。エモーションは「ダイハード」(1998=米)より遥かに上だ。 この危機を忍び寄ったジャイが応酬し、ヴィールーとバサンティは救出される。ジャイは逃げる途中で背中を撃たれ死期を悟り、ヴィールーたちを逃がして独り盗賊の追手を食い止める。ヴィールーや村の連中が駆けつけた時、すでに彼は息絶えている。 ラダの運命は儚く、愛した男が2度も死んでしまう。その悲しみを知りつつ、タークルは両腕がないために抱いてやることも出来ないのだ。 ジャイは愛し合うヴィールーとバサンティの2人を逃がすため、いかさまコインを使ったことがわかる。ヴィールーは怒り爆発でガッバルのアジトへ乗り込む。見せ場としては2段階(実は3段階)になっていて、早々とジャイ=アミター・ジーが死んでしまうのは(今にしては)意外に思える。もっとも、当時の大スターはダルメーンドルで、アミター・ジーはまだ若手だった。元祖「七人の侍」(1954=東宝)の菊千代同様壮絶な死を迎えるキャラクターであったからこそ、人々の胸に刻まれ、アミター・ジーはインド映画界の頂点に立つスーパースターの地位を得たのだ。 ガッバルを仕留めるのは、タークルであるし、あらねばならない。親友を殺されたヴィールーはタークルの要求に渋々取り押さえたガッバルから離れるのだが、果たして両腕のないタークルがどうカタを付けるか? なんとタークルは特注の鉄靴でガッバルを蹴り殺すのだ! 復讐を果たしたタークルが、彼のショールを掛けに寄ったヴィールーに思わず男泣きするのが胸を打つ。 製作のG・P・シッピーはボリウッドの名プロデューサーで、監督のラーメーシュ・シッピーはその息子。マカロニの大家セルジオ・レオーネに加え、ペキンパ・スタイルのハイスピード・モンタージュを導入するなど、冴えた演出を見せる。岩山に囲まれた荒地のオープンセット(バンガロール?)も考えぬ抜かれて配置されており、村人たちの生活もしっかり再現されているのが興味深い。 脚本のサリーム-ジャヴェードは、サリーム・カーンとジャヴェード・アクタルの連名。ジャヴェードは作詞の分野でも活躍し、息子ファルハーンの監督デビュー作「Dil Chata Hai(心が望んでる)」(2001)をプロデュースしたばかり。リリカルなメインテーマから多様なフィルミーソングを提供した故R・D・バルマンは、アーシャー・ボースレーの後夫で、プレイバックも担当している。もちろん、作詞のアナン・バクシーも未だ現役の大御所だ。 本作は、70ミリ・フィルムで公開され、前売りが6年間途切れずに売れ続けたという(ロングランとしては8年)。収益(興収か配収かは不明)は3億5000万ルピー(当時の邦貨にして105億円!)。当時、入場料が4ルピーだったから、単純計算すると8750万人動員したことになる。これだけ驚異的なヒットになるのは「インドは娯楽が少ないから」と片付けられそうだが、改めに観直してみると、単に「荒野の七人」をコピーするだけでなく、インドの観客に合わせて用心棒を2人に減らし対応するロマンスを重視したこと。また当時は劇中に登場するダコイットが各地に出没して社会問題となっていて、後年映画化された「女盗賊プーラン」Bandit Queen(1994)のプーラン・デヴィが司法取引に応じて投降したのが1983年と、リアルタイムで世相を賑わせていたホットな題材を映画化した要因が挙げられる。 初公開以降、本作が現在まで作られたおよそ2万本のインド映画に多大なる影響を与えたことは疑いない。先に挙げた他、アミター・ジー久々のヒットとなった「Mohabbatein(愛)」(2000)でも同様のオープニング・カットから始まるのは、大ヒットした本作にあやかってのことと思われる。 25周年として記念式典が行われ、トリビュート・リミックス・アルバム「Sholay 2000」もリリースされた。G・P・シッピーは現在、続編を企画しているらしく、当然主役はアビシェークとデーオル兄弟となるだろう。 なお、日本では、1988年の大インド映画祭で上映された。 05.09.19追記 ロック・チューン「mehbooba mehbooba」は、Film Fare Award 男性プレイバックシンガー部門にR・D・バルマンが、作詞部門にアナン・バクシーがノミネートされた。2005年夏に発売された、クロノス・カルテット&アーシャー・ボースレーのRDBカバー・アルバム「You've Stolen My Heart」にもインストで収録されている。 なお、アナン・バクシーは惜しくも2002年に他界。 劇中、終始寡黙な寡婦ラダを演じるジャーヤーが、回想シーンとなると妙にはしゃいでいるのは、「Bichhoo(サソリ)」(2000)におけるラーニー・ムカルジー同様、無邪気な少女時代を演じているため。 06.02.12 追記 ラーム・ゴーパル・ヴァルマがリメイク権を獲得した「Sholay」が、ここへ来てアミター・ジーの術後休養等の問題を受け、キャスティングが見直しされた。 当初の予想通り、ジャイにアビシェークの名が再浮上し、ヴィールーにはダルメーンドルの次男、ボビー・デーオルの名が挙がっている。やはり、バッチャン家とデーオル家の2世が揃って出演しなければ意味がない。 もっとも、スクリーン上のカップルがそのまま実生活で結ばれてしまっているため、ジャーヤー・バッチャンやヘーマ・マーリニーの2世(イーシャ・デーオル)と組ませるわけにもいかず、ラーダー役にはデヴィヤー・バランとカトリーナ・カイーフ、バサンティにはラーニー・ムカルジーの名が挙がっている。ラーダー役には、「Parineeta」(2005)でしっとりとした演技を見せたデヴィヤーに期待したいところだ。 気になるガッバル・シン役はアミター・ジーが配役されていたが、ラーム・ゴーパルの盟友とも言えるマノージ・バージパイで再アナウンスされている。アミター・ジー自身、奇跡のカムバック以降、「Aks(憎しみ)」(2000)はじめネガティヴ・ロールを楽しんでおり、ガッバル・シン役に多いに乗り気であった。次回出演作を多数抱えていたアミター・ジーだけに、休養期間の影響はボリウッドを直撃し、撮影延期や配役変更を強いられる作品はかなりに上る模様。 主要キャストは、現段階でまだ交渉中とのこと。その他、ラーム・ゴーパルとヨリを戻したウルミラ・マートンドカルがゲスト・ダンサー(ヘレンによるナンバー「mehbooba mehbooba」に相当?)として、タークル役には「Company(カンパニー)」(2003)でマラヤーラム映画界から招かれたモーハンラールを、その他スニール・シェッティー、ラージパル・ヤーダウのキャスティングが伝えられている。 映画マニアで知られるラーム・ゴーパルがメガホンを取るものの、実録路線に傾倒していることもあって、伸び伸びとしたあのテイストが失われることが懸念される。50th Film Fare Awardsにて50年間のベスト1作品に選ばれ、今もインドの人々に深く愛される作品だけに、オリジナルを損なうことなく、アナザー・ストーリーとしてうまくまとめて欲しいところである。 *追記 07.08.03 ラーム・ゴーパル・ヴァルマのリメイク版は、インド人からのブーイングを受け、「ラーム・ゴーパル・ヴァルマの炎」RGV Ki Sholayとタイトル及び役名を修正していたが、裁判所命令でタイトルを「RGV Ki Aag(火)」に変更することとなった。 なお、インドでのリリース(封切日)は8月31日の予定。こちらも、オリジナル公開日の8月15日を避けた形となった。 |
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