アッチャー・ソングス
moujo
mein ay sanam
アリーシャ・チノイ
duniya main sabse
ウディット・ナラヤン
クマール・サーヌー
アーシャー・ボースレー
aao
aur na socho
クマール・サーヌー
arzoo ki raahon mein
ウディット・ナラヤン
アルカー・ヤーグニク
chahiye milne ka bahana
クマール・サーヌー
アルカー・ヤーグニク
sunona sunona
クマール・サーヌー
アルカー・ヤーグニク
ナマステ・ボリウッド
オススメ通販ショップ
(インド映画DVD・書籍・雑貨・民族衣裳・サリー・パンジャビードレス・ファブリック)
ティラキタ
アムリタ
書肆なゆた屋
パインズクラブ
アジアハンター
はるばる屋 |
Karobaar/2000 06.02.10 ★★★
製作:ゴーヴァ/監督:ラーケーシュ・ローシャン/脚本:サーチン・ボーウミック、ラヴィ・カプール/台詞:サーガル・サルハーディー/撮影:サミール・アールヤー・音楽:ラージェーシュ・ローシャン/作詞:ジャヴェード・アクタール/振付:サロージ・カーン、チンニー・プラカーシュ、ラージュー・カーン/背景音楽:スリンデール・シン・ソーディー/美術:R・ヴェルマン/編集:サンジャイ・ヴェルマ/助監督:リティック・ローシャン?
出演:リシー・カプール、アニル・カプール、ジュヒー・チャーウラー、ティヌー・アナン、アシーフ・シャイク、ヒマーニー・シヴプリー、スレーシュ・チャトワール、アスラニー、スルバー・デーシュパーンディー、プリヤ・アローラ、ディニーシュ・ヒングー、ラーム・モーハン
ゲスト出演: ナヴィン・ニスチョール
公開日:9月15日
STORY
ラジーヴ・シンハー(アニル)とシーマ(ジュヒー)の息子ロヒトが欧州帰りにヘロイン密輸容疑で逮捕されてしまう。しかも、裁判の担当地検がシーマの前夫アマル・サクセーナ(リシー)と判って・・・。
Revie-U *結末に触れています。
リティック・ローシャンの父親であるラーケーシュ・ローシャンがメガヒット「Kaho
Naa...Pyaar Hai(言って・・・愛してるって)」(2000)の次に放ったのが本作。「The
Business of Love」というサブタイトルがポイント。黄金のコインがまわり続けるCGIのオープニング・タイトルバックは、「Lagaan」ラガーン(2001)に先駆ける。
冒頭登場するアニル・カプールとジュヒー・チャーウラーは、ともに白髪メイク。またまた「Bulandi」(2000)同様、アニルが息子役も同時に演じるのかと邪推してしまうのだが、それは当たらずとも遠からずだった・・・。
シンハー(ほとんどセナーと発音される)夫妻の難儀が示された後、地検事務所に裁判の知らせが届く。ここで登場するのが、クレジットもトップ・ビリングのリシー・カプール。「酔いどれ天使」(1948=東宝)+「醜聞」(1950=松竹)の志村喬よろしく無精ヒゲと酒の飲み過ぎでヨレヨレ。このアマルはさっそく証拠隠蔽に動く。そして、裁判所へ向かうタクシーの中で、回想となる。
なんとこれが、中年太りのリシー本人が青年期をそのまま演じてしまうというもの! それに疑問すら抱かず、ジュヒー扮するヒロインのシーマはアマルと恋に落ちてしまうのだ!!(ふたりのミュージカル・ナンバー「chahiye
milne ka bahana」と「sonuna sonuna」の2曲あり)
さて、ここで恋の宿敵となるラジーヴの登場。のっけから自家用ジェット機で現れ(!)、白人スチュワーデスといちゃつき合う、大富豪にして女っ垂らしという設定。ミス・インディアの授賞式でプレゼンターを務めた後、ラジーヴはブティックでドレスを品定めするシーマを見初めてしまう。この時のアニルの品のない目つきから、どうしても愚弟サンジャイ・カプールを連想してやまない。
ちなみにリシーは、ボリウッド生え抜きの映画一族であるカプール家出身で、かのラージ・カプールの次男。カリシュマとカリーナのチャーチャー(父方の伯父)にあたる。共演のアニルは、一部のインド映画本では名門カプール家とされているが、ラージ・カプールの血筋ではない。もっとも父も兄も法律内姉も弟もボリウッドワーラーであるからして高等映画一族には変わりない。
運命の悪戯か、ラジーヴはアマルの旧友であった。
シーマがアマルの「友人」と知ったラジーヴは自分の財力を見せびらかすためにその場で「ちょっと出かけよう」と、ふたりを伴って自家用ジェット機で南アフリカまでリゾートの旅へ!!(一部、ケニア・ロケ)
ここでホテルのプールを使ったサービス・ショットとなり、ジュヒーは健康的な豊満ボディを披露。一方、アニルは海パンで肩毛(!)。リシーはというと、さすがにタンクトップを着込んでお腹の脂肪を隠しているものの、記念写真を撮ろうとしたシーマが一瞬、見劣りするアマルから水も滴るダンディなラジーヴに目が移ってしまう。
ラジーヴの富豪ぶりは徹底していて、旅の記念に「小さな贈り物」として金のネックレスをシーマにプレゼントする始末。これに庶民のアマルが「引けて」しまうのだが、かえってラジーヴの富豪を鼻にかけたアプローチがふたりを押しやって結婚に。
だが、シーマの母が「娼妓」上がりだったことから、ラジーヴは兄の家を追い出され孤立する。 ラジーヴの横恋慕はさらに続き、シーマの誕生日に部屋一杯の花束を贈ったり(角川映画「汚れた英雄」でも同様のエピソードあり)、バス待ちしているシーマを見かけるや、金色のリボンをつけた(!)乗用車をプレゼントしたりする(1リッタークラスの大衆車と言えど、日本円にして1000万円ほどに相当)。
このエピソードは、やはり金持ちの主人公アルジュン・ラーンパールが庶民のアイシュワリヤー・ラーイに横恋慕する「Dil
Ka Rishta(心のつながり)」(2003)でも引用されていた。
それにしても、回想が実に長い。
ラーケーシュの演出も古臭く思えてならないのだが、実は「Kasam(誓い)」(2001)同様、制作が滞りオクラ入りしていた作品。「KNPH」の余勢に預かろうと急遽仕上げてリリースしたということらしい。なにしろアニルの髪形が80年代末から90年代前半にかけて流行った襟足の長いボリウッド・スタイルだったり、ちらりと登場するディニーシュ・ヒングーの頭に毛があったりするところから、90年代中盤の撮影だろうか。
話題のテコ入れとして「リティックがアシスタント・ディレクターとして参加している」と喧伝されたが、本人が登場しているわけでもないので効果は上がらず(そもそもノン・クレディット)、年間34位。リティックは「カランとアルジュン」Karan
Arjun(1995)の現場にも参加していたという。
音楽も例によってラーケーシュの弟、ラージェーシュ・ローシャンの手によるもの。フィルミーソングのクラブ・ミュージック化が当たり前の今からするとアナログテイストな編曲が心地よく耳に響く。
ラジーヴからの嫌みなプレゼントを突き返したアマルは、帰り道にバスに轢かれて(!)重体となる。ここで医者から手術代として50万ルピーを要求され、シーマはアマルの兄や自分の母に無心するも断られる(第一、庶民にそのような金が工面できるはずがない)。そこでシーマは愛するアマルを救うため、恋敵であるラジーヴへ自分を「売り」に行くのだ。
「さあ、好きにしていいわ」と目を閉じ立ち尽くすシーマに近づいたラジーヴは、5ラークの小切手を差し出す。ここのアニルは邪(よこしま)な眼差しは微塵もなく、嫌みな振る舞いから一転、道義的人格者となるのは相手を立てるライヴァル出演の常道である。アニルは、「Mann(想い)」(1999)、「Taal(リズム)」(1999)と引き立て役が続いた。
これでは、駆け落ちしたアーミル・カーンが重傷を負って、断絶した父親に手術代を無心したカリシュマに激怒してしまう「Raja
Hindustani(ラージャー・ヒンドゥースターニー)」(1996)と同じ展開ではないか、と思ってしまうのだが、この映画が本当に面白くなるのは、ここからである。
手術は、無事成功。手術代は、親戚が工面してくれたことにされる。仕事に復帰したアマルが担当する裁判が、なんとラジーヴの殺人容疑! 彼の邸宅でミス・インディアが暴行された上、殺害された事件が起き、元運転手がラジーヴと彼女の情事を目撃して写真に収めていたのだ。
これは、シーマに袖にされた痛みから酒に溺れたラジーヴが彼女をシーマに重ね合わせてコトに及んでしまったのだった(アリーシャ・チノイの吐息をフィーチャーした欲情ナンバー「moujo
mein ay sanam」)。
そう言えば、アニルは「Zindagi Ek Juaa」(1992)のガレージ・ナンバー「dil to dil hai」でもマードゥリー・ディクシトに踊りながら言い寄られたところを写真に撮られていたっけ。意外に脇が甘く、女好きだったりする軽いキャラクターが「No
Entry(ノー・エントリー)」(2005)でも違和感なく発揮されメガヒットにつながったわけか?
アマルにとって、ラジーヴは宿敵である。彼を貶める絶好のチャンスとなる。
ラジーヴにはアリバイがあるのだが、それを口にすることは出来ない事情があった。ここで彼の無実を晴らすため、証人台に登るのが、アマルの妻であるシーマなのだ。
実は、夫の手術代を無心するためラジーヴを訪ねたのが、事件の起きた夜であった。しかも、その晩は街で暴動が起きており(!)、小切手を手にしたものの、警官から外出禁止を言い渡されたシーマは歩いて病院へ行くことが出来ない。そこでラジーヴに車で送ってもらったのだった。これを裏付ける警官の証言もなされ、ラジーヴは晴れて無罪となる。
だが、納得できないのはアマルの方だ。あれだけシーマに入れ込んでいたラジーヴが金と引き換えに何もしないわけはない。現に、5ラーク・ルピーの札束をシーマの母親の目の前に積んで彼女との結婚を「買い取ろう」とまでした輩だ。
ランカー島から戻った妃シーターの貞淑を疑い、妻を焼き殺したラーマ王同様に、アマルはシーマを追い出す。彼女は間もなく路上に倒れ、子種を身ごもっていたことが判る。しかし、アマルはこれも「ラジーヴの子だ」と拒絶し続ける。
長い回想が終わって、ようやくタクシーが裁判所へたどり着く。
「KKHH」(1998)や「K3G」(2001)のような前半がほとんど回想、という構成ではなく、いやはや全体の8割が回想!!! それ故、公開にあたって回想なしだった当初の脚本に苦肉の策で現代シーンに挟み込むことにしたのでは?などと思ってしまう。
さて、ラジーヴとシーマの「息子」の裁判だ。ここで熱弁を振るうリシーは、さすが往年のボリウッドスターの実力を感じさせる。しかし、中年太りのまま青年役を延々こなしてしまうのは、いかがなものか。「ボビー」Bobby(1973)の影響力故に許されるのだろうか? と思いを巡らさせていると、リシー・カプール起用の理由がここになって示されるのだった。
なんと、「息子」として登場したロヒトは、リシー本人の若かりし頃の映像?!?ではないか!!! デジタル処理により、若きリシーと老いたリシーが同一フレームに!!!! これには愕然とするアマル以上に驚かされてしまうのであった。
真相はというと、アマルに捨てられたシーマをラジーヴは引き取り、名前だけの結婚をしていたのだった。あくまで道義的なヒーロー像である。そして、ロヒトの事件も元運転手親子が仕組んだものと判明。アマルはシーマを抱き寄せたばかりか、掟破りの二役である若かりし頃のリシーと抱き合ってめでたし、めでたし!!!!!
サポーティングは、ラジーヴに怨みを抱く元運転手ラームラール役に、「Ghaath(殺人)」(2000)のティヌー・アナン。ねずみ男顔に相応しい下劣漢ぶりを見せる。その息子に「カランとアルジュン」のアーシフ・シェーク。
アマルの兄に「Munna Bhai M.B.B.S.(ムンナー・バーイMBBS)」(2003)の人質男スレーシュ・チャトワール。その妻、「Hum
Kisise Kum Nahin」(2002)のヒマーニ・シヴプリーもこの時期だけにかなり高飛車である。
アマルの友人にしてラジーヴの部下チャンパックに「Lajja(恥)」(2001)のアスラニー。舞踊の師匠をしているシーマの母役に「G.air(除け者)」(1999)のスラバー・デーシュパーンディー。ラジーヴとデキてしまうミス・インディア役にプリィヤ・アローラ。
シーマの勤め先代表に「Jaani Dushman(命敵:奇譚篇)」(2002)のディニーシュ・ヒングー。アマルの上司に「Jung(闘い)」(2000)のナヴィン・ニスチョールが配役されている。
南ア旅行中の仮面群舞ナンバー「duniya main sabse」の美術は「Khal
Nayak(悪役)」(1994)に通ずるものがあるが、リシーの二役が要になっていることから、ボリウッドでデジタル合成による二役物が流行った1997年あたりに撮影されたと思われる。ラーケーシュのフィルモグラフィからすると「コイラ」Koyla(1997)から2000年の「KNPH」まで間があるし、ロバート・レッドフォード&デミ・ムーア主演「幸福の条件」(1993=米)からインスパイアしたことからも「King
Uncle(キング・アンクル)」(1993)以前とは考えにくい。
ちなみに 「Dil Ka Rishta」も本作を下敷きにしたようで、主人公のアルジュンが同じく南アフリカでビジネスをしている設定になっている。
興業成績は、33位「Ghaath」に続く客入り。プリティー・ズィンターが未婚の母を演じた「Kya
Kehna(まあ素敵!)」(2000)より動員しているというのには恐れ入る。これもリシーのスターヴァリューであろうか。まあ、20位後半以下は五十歩百歩であるのだけれど。
|