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クナール・ガンジャワーラー
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ソウミャー・ローフ
カーダル・ナイズ・カッワール
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クナール・ガンジャワーラー
ソウミャー・ローフ
iss se pyaar kaise karoon
インストルメンタル
chak de phattey remix
アヌパム・ケール
バーマン・イラーニー
ターラー・シャルマ
ヴィノード・ナグパル
ランヴィール・ショーレー
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Khosla Ka Ghosla!(コースラーの家)/2006 06.12.31 ★★★★
コースラー・カ・ゴースラー
製作:サヴィター・ラージ・ミレナート、ロンニー・スクリューワーラー/監督:ディバカル・バナルジー/ 創作製作・原案・脚本・台詞・作詞:ジャイディープ・サフニー/
撮影:アミターバ・スィン/ 音楽:ドルン・ダッラー/音楽・背景音楽:バピー-トゥトゥール/ 美術:アイェーシャー・パンワニ/衣装:マヌーシー・ナート/編集:セージャル・ペインター/タイトル:ターターELXSI
VCL
出演:アヌパム・ケール、バーマン・イラーニー、パルヴィン・ダバス、ターラー・シャルマ、ナヴィン・ニスチョール、キラン・ジョーネージャー、ランヴィール・ショーレー、ヴィノード・ナグパール、ヴィネイ・パタク、ニティーシュ・パーンディー、ラージェンドラ・セティ、ラージェーシュ・シャルマ、ルーパム
公開日:9月22日
STORY
KKコースラー(アヌパム)の一家は念願の私有地を購入。これがクラーナー(バーマン)の仕掛けた登記詐欺で、まんまと30ラーク奪われてしまう。悔し涙を呑む一家だが、衣装返しを思いつき…。
Revie-U *結末には触れていません。ご安心を。
<インドは世界最多生産国>ということは日本でも知れ渡っているが、最大のマーケットを誇るボリウッド産ヒンディー映画は実のところ年間1000本のうち4分の1ほど。それらのうち大半はインターネットには情報が載らないC級D級Z級映画の類いで、ボリウッド英語映画雑誌や映画業界紙(一般人も読んでいる)Screen
Weeklyでも圏外となっている。
当サイトで主に取り上げているボリウッド・メジャー作品と呼べるのは、年間80本程度だろうか。逆に言えば、映画人口が世界1多いこの国で「この映画はフロップだ」との風評を受けても、トップ30にランク・インしている限り、かなりの観客の支持を受けていると言えよう。
そんな中、2000年以降に台頭して来たヒングリッシュ映画というジャンルがある。海外在住のNRIをメインターゲットにした英語劇の作品であったが、スターが出演しない代わりに低予算でクオリティの高い映画が作られるため、都市部を中心に受容が高まり、最近では英語劇ではなくヒンディー語劇として作られるようになった。
アート作品と呼ぶほどテーマ性は強くなく、かと言ってマサーラー映画のようにミュージカルや娯楽性が前面に出ていない。言わば、日本の文学で<中間小説>と呼ぶカテゴリーに倣って<中間映画>と括っても良さそうなテイストが特徴。
本作も、アヌパム・ケールとバーマン・イラーニーという名優が出演しているが、スター映画とは言い難い。
他愛もない土地詐欺話だが、これにスパイスとして家族の結びつきが絡んでいるのがポイント。 一家の主コースラーは、自分が死んでも子供たちが省みないと悩みを抱えている。そして、土地を買って持ち家を建て一家で暮らすのが夢。
その土地購入の間際に、長男がアメリカに職を得て実家から離れたいと考えている。しかも彼の名はチラヌジーラールという長ったらしくもギー臭い名前。これがスマートでないと、改名したいと言いだすわけだ。
タイトルバックで、コースラーの幼年時代からアルバムが綴られ(アヌパムらの実写真の画像加工)、家族には歴史があることが示された集合写真からチラヌジーラールがパスポート申請用に自分の顔を切り抜く。家族から彼だけがすっぽり抜け落ちてしまったことを視覚的に告げるカットもよい。
このチラヌジーラールを演じるのは、「私はガンディーを殺していない」Maine
Gandhi Ko Nahin Mara(2005)のパルヴィン・ダバス。他に「Dillagi(冗談)」(1999)の小さな役や、日本でも劇場公開された「モンスーン・ウェディング」Monsoon
Wedding(2001)では花婿役を演じている。生真面目なところが、こじんまりした<中間映画>にはちょうどよろしい。
ヒロイン、メグナ役は、「Page 3」(2005)で身体を委ねてデビューを目論むが監督に捨てられ一度は泣き寝入りするものの、懲りずにボリウッド社交界へ舞い戻る女優志望役のターラー・シャルマ。アヌパムが監督した「Om
Jai Jagadish」(2002)にも出演。面長なので美形に見えるが、押しが弱く、またサーリーが似合わないのが難点。
コースラーは、不動産屋を通して土地を所得。契約に際して、念願の私有地を手にすることで浮き足立ったあまり書類を確認するのを怠り、氣がつけば、自分が買った土地が他人に占拠されていた! さらに30ラークで購入したはずの土地を取り返したいのなら15ラークで買い戻せ、という展開に。
警察、弁護士、政治家(男性/女性共に)を訪ねるものの、誰もがこの<おいしい話>に群がろうとするばかり。遂にコースラーも意を決し、屈強なレスラーたちを頼りに夜陰に乗じてクラーナーが作ったレンガ塀を取り壊してしまう。が、逆に警察に拘留され……。
無論、不動産屋、警察もクラーナーとつるんでの話。しかも、ご丁寧に一旦投獄してから解放した上、買い戻し価格を12ラークにディスカウントして取引を断れないように仕向ける巧妙さ!
コースラーに扮するアヌパムは、終始、所在のない小心者ぶりを好演。
バーマンは例によってエキセントリックぎりぎりで、ややあざとさが見え隠れするものの、すでに彼の芸風として定着していて、フィルムメーカーもそれを期待した撮影プランを用意。クラーナー邸のオフィスなど実に趣味の悪いインテリアが奢られており、特に鹿を襲う虎の油絵がクラーナーという曲者を端的に表している。
土地所得にまつわる詐欺はどこの国も限らず多々あり、日本でも登記に関してよく聞くが、インドでは個人だけでなくNGOですら役所にまで巣くった輩の標的となる。
インド女性の地位向上をサポートする人権団体が政府の推薦状を取付、首都の開発事業部へ申請したところ、入金直前に土地の証書内容が差し替えられていたことが発覚。その後、不正に土地を所得したとして起訴され、<起訴を取り下げる代わりに土地の半分か、地価の半分>を要求される。これらの圧力をかけたのが、ある政党の幹部で、このNGOは裁判に12年以上も煩わされることになったという。
この当事者が記した「ダウリーと闘い続けて・インドの女性と結婚持参金」(スパドラー・ブタリアー著/鳥居千代香訳/つげ書房新社)に詳しく書かれているが、本作のストーリーラインや政党幹部の名が同じくクラーナーとあって、関連が興味深いところである。
収穫は、コースラー家の仕返しに協力する旅行業者アシーフ・イクバル役のヴィネイ・パタクだろう。
「ミモラ 心のままに」Hum
Dil De Chuke Sanam(1999)では単なる端役に過ぎなかったが、「Water」(2005)では短い出演ながら独立前夜に見るインド人資産階級の屈折を表していた。
このアシーフ、ヴィザ申請代行に訪れたチッラヌジラールの長ったらしい名前をあからさまに笑うなど、はじめの印象は極めて悪い。しかし、コースラー家の受難を知るや「バヴェージャなら俺には関係ないが、クラーナーなら話は別だ」と言い切る。
やがて、衣装返しを決意したチラヌジーラールと恋人のメグナが彼を訪ねるに及び、実はクラーナーの元で7年間手足となって働いていたことを明かす。そのあくどさに嫌氣がさして、袂を分かち、今に至るというわけだ。
実はもうひとり、本作の魅力を高めている役者がいる。メグナの父役、ナヴィン・ニスチョールがその人。
スターとしては大成しなかったが、なんと彼はレカーのヒンディー・デビュー作「Sawan
Bhadon」(1970)でダブル・デビュー。後年は「ラジュー出世する」Raju
Ban Gaya Gentleman(1992)でシャー・ルーク・カーンを貶める社長役、「Jung(闘い)」(2000)の警察署長役など、重苦しい役どころが多かったが、本作前半ではリタイアした父親役として実にリラックスした自然体の芝居を見せる一方、後半、ドバイ在住の富豪セートをスマートに好演。
近年は「Maa Santosi Maa」(2003)、「Classic Dance of Love」(2005)などのB級作品にもっぱら顔を見せていたが、どうしてどうして「Hindustan
Ki Kasam(インドの誓い)」(1999)では、アミターブ・バッチャンと戦友という軽くない扱い。マニー・ラトナムが製作中の神話大戦「The
Mahabharata」にも、アミット・ジー、ダルメンドル、カマール・ハサン、モーハンラール、ラジニカーントら全インドの名だたるスターと共にキャスティングされている(ちなみにこの作品は、シャー・ルーク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーンの<3カーン>初競演作になりそう)。
監督のディバカル・バネルジーは、これがデビューとなる。センスも上々であるが、父親と息子が揃って晩酌するのはやや疑問。このへんは、NRI向けということか。
脚本のジャイディープ・サフニーは、「Bunty Aur Babli(バンティとバブリー)」(2005)の脚本、「Bluffmaster!」(2005)の作詞と、詐欺物が続くが氣になるところ。
撮影のアミターバ・スィンは巧みなライティングで画面を豊かなものにしているだけでなく、イクバルが相談を乗るチャイ屋シーンの処理もなかなかのもの。大抵、向かい合わせの席で歓談する場合、互いのショットをカットバックで見せるのが一般的であるが、イクバルの横顔と壁の大鏡に映ったチラヌジーラールとメグナをワンフレームに収め、台詞に合わせてフォーカスを移動することでフィックスフレームながら会話に弾みをつける効果をあげている。
また、美術のアイェーシャー・パンワニのセンスもよい。
詐欺の衣装返し映画としては、さほどトリッキーな作りではなく、このへんは好みの分かれるところ。これは映画の主題がインド系好みの家族愛に置かれているためでもあるからだろう。
後半に弱さを感じるのは、クラーナーに罠を仕掛けるのが被害にあったコースラー家の面々でなく、彼らが用立てた代役たちというためだ。なにしろ、本人たちは顔が知られているので、これを変装して演じてしまうとなると、映画が違ったテイストになってしまう。
仕掛けるチッラヌジラールにしても現場を遠くで伺っているだけ、一家の長であるコースラーは復讐計画を快く思っておらず、ひとり蚊帳の外であったりするし、随一の存在感を示すアシーフも面が割れているだけに影の参謀に留まっていたのは惜しい。
長男のチッラヌジラールが改名を言いだすのは、在外2世を主人公にしたジュンパ・ラヒリの初長編小説「その名にちなんで」The
Namesake(小川高義訳/新潮社)でもモチーフとなっている。
古風なヒンドゥー名をモダンな洋風愛称に代えている例は、ラクシュマンをラッキーとした「Main Hoon Na(私がいるから)」(2004)、チャンプことチャンパックの「Anthony
Kaun Hain?(アンソニーは誰だ?)」(2006)などがあるし、D級日本ロケ作品「Love
in Japan」(2006)ではチャックラダーリーがCD、デーヴェンドラダーリーがDVD、ラクシュマンダーリーがLDというギャグになっていて、インド人の嗜好の変化を感じさせる。
そう言えば、「Raja Hindustani」(1996)でも主人公のアーミル・カーンが「ラージャー・ヒンドゥースターニー(我が国で言えば日本太郎?)」と名乗って、お嬢様役のカリシュマ・カプールから笑われていたっけ。さらには、その相棒がラジニーカーントという役名で、これまた北インドの観客から冷ややかな笑いを誘う設定となっていた。ちなみに、この子役クナール・ケムーは、スキャンダラスな「Kalyug」(2005)で悩める主人公に成長している。
劇中、いわゆるミュージカル・シーンはないが、最近の傾向としてオリジナル・プロモ「chak de phattey remix」が作られ、登場人物たちのよりコミカルな姿を見ることが出来る。
これもオススメ→「Bheja
Fry(脳味噌揚げ)」(2007)
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